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公開日:2023/12/15  

新選組随一の剣の腕前だったとされる二番隊組長!永倉新八の愛刀とは

永倉新八の愛刀とは

皆さんは新選組の一員であった永倉新八をご存じでしょうか。新選組のなかで、人気が強いのが、近藤勇、土方歳三、沖田総司です。その3人に人気が集中しているイメージですが、その3人以外に重要人物である、永倉新八は、新選組のなかでも剣の腕前がとても優れていたそうです。今回はそんな永倉新八について紹介します。

新選組二番隊組長「永倉新八」とは

永倉新八は、天保10年に生まれました。8歳の時から剣術を習いその力を発揮していきました。そんなにも幼いときから剣術を学んでいたのです。

新選組最強といわれる沖田総司よりも、永倉新八のほうが強かったと一部ではいわれています。幼いときからの努力が、永倉新八の強さなのではないでしょうか。

永倉新八も土方歳三や沖田総司と同様に、近藤勇を筆頭に浪士組に参加しました。新選組結成の前例といわれる浪士組は、剣術に優れた最強の集まりだったようです。そんな浪士組の永倉新八は、元治元年に起きた池田屋事件にももちろん参加しています。

右手の親指を負傷するもとても活躍したといわれています。永倉新八は、近藤勇や土方歳三、沖田総司の人気に隠れがちですが、その三人に負けることのなく、信念があり強い男だったとされています

晩年の永倉新八は、道場を開いたり、大学で剣道を教えたりと、生涯剣術に携わって生きていたようです。剣術を愛していたからこそ、剣術に愛されたのではないでしょうか。

永倉新八は、77歳で永眠します。永眠するまでに弟子には、沖田総司、斎藤一の強さを語っています。自身の強さを自慢するわけでもなく、同じ新選組の武士をたたえる、そんな姿も永倉新八の魅力のひとつなのです。

沖田総司や斎藤一は、とても剣術に優れていたといわれています。それは、永倉新八も認めていたのでしょう。それと同時に多くの人が、永倉新八の強さをも認めているのです。

永倉新八の愛用していた刀は「播州手住柄山氏繁」

永倉新八にももちろん、愛刀があります。永倉新八が使っていたとされる愛刀は、播州手住柄山氏繁という刀です

現在の兵庫県で作られたといわれています。常に最前線で戦っていた永倉新八は、その刀を使用し、さまざまな戦いに参戦してきました。

永倉新八が所有していた播州手住柄山氏繁は、よい刀であったことから、武士に人気があったとされています。そんな剣術の達人である永倉新八には、得意技がありました。

その技は、龍飛剣と言う技でした。龍飛剣は、下段の構えから敵の刀を擦り上げて、切り落とすとされています。敵の刀を擦り上げるため、力がとても必要だったとされています。

剣術が得意な永倉新八は、新選組の二番隊では組長を務めていました。新選組のなかでも強いとされる沖田総司とならび、永倉新八もとても強く、活躍したといわれています。

播州手住柄山氏繁は、黒鮫皮を使用されたといわれています。また、黒綿巻もしているので、とても渋く、貫禄のある作りであったことがうかがえます

播州手住柄山氏繁を作った氏繁は、手柄山で活躍していたといわれています。手柄山という名が、とても縁起がよく、武士に人気だったとされています。

播州手住柄山氏繁は、資料には残っていますが、現在では実物は残っていません。愛媛県には、市指定文化財として、永倉新八の愛刀と同じ手柄山氏繁が作った刀は保管されています

永倉新八にまつわる刀剣エピソード

播州手住柄山氏繁を使用し戦った、池田屋事件では、凄まじい戦いをしたようです。帽子と呼ばれる、切先に近い部分が折れたといわれています。

永倉新八もケガを負いながら戦ったその姿は、多くの浪士を勇気づけたといわれています。永倉新八は、剣術に真剣に向き合い、苛烈な戦いにもひるむことなく、向かっていった様子がうかがえます。

永倉新八は、神道無念流の皆伝免許所持者の剣士です。そのことから、強さともども愛刀を大切にし、凄まじい戦いにも勝利してきたのではないでしょうか。

また、がむしゃらな性格であったことから、剣術にもその性格が出ていたようです。けがを負ってもなお戦う、そんな姿が、最強といわれる、永倉新八なのです

永倉新八は、他の浪士とは違い、多くの書物などで、自身の生きた道など、さまざまなことを後世に残してきました。刀こそ残ってはいませんが、さまざまな資料から、永倉新八という人物や当時の状況などを垣間見ることができます

永倉新八は、写真も残っており、見たことがある方も多いかもしれません。資料館や永倉新八をよく知ることで、より一層、新選組や永倉新八が好きになるのではないでしょうか。

まとめ

永倉新八は、近藤勇、土方歳三、沖田総司に隠れ、少し人気や知名度に劣る部分がありませが、剣術においては、決してそんなことはありません。新選組最強といわれる、沖田総司よりも強いといわれがあるのは、永倉新八ただ一人です。実際どちらが強いのか、わかりませんが、その剣術の高さは、証明されています。

永倉新八は、幼いころから、剣術の道を歩み、剣術と一緒に生きてきました。それは、永倉新八そのもので、永倉新八は生涯を閉じるまで、剣術とともに生きてきました。自己を称えるのではなく、他人を称える、そんな生き方も、永倉新八の魅力的なのです。

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