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公開日:2024/07/11  

小竜景光とはどんな刀剣?楠木正成の愛刀をご紹介!

小竜景光とはどんな刀剣

楠木正成ゆかりの名刀

「楠木正成」(くすのきまさしげ)ゆかりの日本刀である国宝「小竜景光」(こりゅうかげみつ)は、その美しさと歴史的価値で広く知られています。この刀は、鎌倉時代後期の備前国で活躍した長船派の刀工である景光によって作られたもので、景光は同派の代表的刀工である長光の子とされています。小竜景光は作刀数が少なく、その中でも名刀揃いの景光の作品として特に評価されています。国宝指定名称は「太刀 銘備前国長船住景光 元亨二年五月日(小竜景光)」です。

小竜景光の特徴と歴史

小竜景光は、後世に磨上げ(すりあげ、寸法を切り縮めること)がされているものの、腰反りが高く(太刀の元の方で大きく反り、切先辺では直線に近くなるという意)、その美しい形状を保っています。地鉄(じがね)は小板目肌と呼ばれる細かく目の詰んだもので、乱映りが鮮やかに立ち、刀剣用語で丁子(ちょうじ)に小互の目(こぐのめ)交じりなどと呼ばれる、変化の多い刃文を焼いています。刃長は73.93センチメートル、反り3.03センチメートル、中鋒元幅2.94センチメートル、先幅2センチメートルで、茎(なかご)は6センチメートルほど磨り上げてあります。銘は佩表に「備前国長船住景光」、佩裏に「元亨二年五月日」とあり、1322年に作られたことが分かります。

小竜景光の伝来と複製

小竜景光の名前の由来は、鎺元(はばきもと)に倶梨伽羅竜(くりからりゅう)と呼ばれる小さな竜の彫物が施されていることにあります。この名刀は、室町時代以前の伝来は明らかではありませんが、豊臣秀吉の手に渡り、その後徳川家康の手に渡るなど、重要な歴史の流れの中で存在してきました。幕末には大阪の農家が所持していたものが買い上げられ、その後毛利家や「井伊直弼」(いいなおすけ)などを経て、明治時代には「山岡鉄舟」(やまおかてっしゅう)が明治天皇に献上しました。終戦後、東京国立博物館に移管され、1949年(昭和24年)2月18日に旧国宝に指定され、1952年(昭和27年)11月22日には新国宝に再指定されています。

江戸時代末期を代表する刀工の固山宗次による写しも存在しており、現在の磨り上げ姿を写したものと、元の初茎(なかご)に復元した二振りが制作されています。東京国立博物館に移管されるまで本物は宮内庁から門外不出であったため、佐藤寒山ですら宗次の写ししか見たことがなく、後に本作を見てその出来に驚いたことが語り草となっています。

まとめ

小竜景光は、楠木正成から明治天皇へと受け継がれ、豊臣秀吉や徳川家康といった歴史上の重要人物の手を経て、東京国立博物館に所蔵されています。この名刀は、その美しい形状と高い技術を示す地鉄や刃文の特徴から、現在でも多くの人々に愛されています。複製品も存在する中、佐藤寒山が実物を見てその出来に驚いたことも語り草となっています。小竜景光は日本の刀剣文化の象徴として、その価値を未来に伝え続けていくでしょう。

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