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公開日:2026/02/24  

日本刀史上重要な国宝「太刀 銘 貞次」とは?

日本刀史上重要な国宝「太刀 銘 貞次」とは
太刀 銘 貞次(さだつぐ)」は、古青江(こあおえ)を代表する刀工「貞次」の代表的な刀剣です。

概要
「太刀 銘 貞次」は、備中国青江派(あおえは)に属する刀工・貞次によって鍛えられた、日本刀史上きわめて重要な国宝の刀剣です。平安末から南北朝期にかけて栄えた青江派のうち、とくに鎌倉中期頃までの作を「古青江」と呼び、その代表刀工の一人が貞次とされています。貞次は後鳥羽上皇御番鍛冶二月番を務めた名工であり、朝廷お抱えの刀鍛冶として、武家のみならず公家社会からも厚い信頼を受けました。本作は、そうした古青江貞次の中でも、姿・地鉄・刃文の三拍子がそろった代表作と評価される一振りです。江戸時代には対馬藩主宗家に伝来し、のちに明治期には愛刀家として名高い伊東巳代治伯爵の所持となりました。現在は個人蔵となっていますが、古青江物としては屈指の出来映えを示す国宝日本刀として、刀剣愛好家・研究者から関心を集めています。

刀身の特徴
国宝「太刀 銘 貞次」の姿は、小鋒で、腰反りが高く踏ん張りの利いた、鎌倉中期の典型的な太刀姿を端正に示しています。身幅は過度に広からず、全体として流麗で引き締まった輪郭を保ちつつ、重心がやや腰寄りに感じられるため、佩用した際の納まりや扱いやすさといった実用性をよく物語ります。地鉄は小板目肌がよく詰み、地沸がついて、澄肌と呼ばれる地斑まじりのちりめん肌を呈し、古青江特有の光沢と細やかな肌合いが見どころです。刃文は中直刃を基調としながら、小丁子や小乱がまじり、足や葉がこまやかに入り、静かな印象の中にも豊かな変化を見せます。同じ青江派でも華やかな丁子乱れを焼く作例が多い中、本作は落ち着いた直刃調、御番鍛冶としての気品と、実戦刀としての信頼性を兼ね備えた日本刀の理想像を体現している点に、刀剣専門家から高い評価が集まっています。

歴史・時代の流れ
貞次が活躍した古青江の時代は、平安末から鎌倉中期にかけて武家政権が確立し、武士の実戦要求朝廷の権威維持が交錯する過渡期にあたります。備中国で発展した青江派は、「」の字を通字とする貞次守次行次らが連綿と活躍し、地方刀工でありながら御番鍛冶に名を連ねるほどの高い技術力を誇りました。なかでも国宝指定の「太刀 銘 貞次」は、後鳥羽院番鍛冶に比定される貞次の作と考えられ、公家文化と武家文化が日本刀を通じて結びついた象徴的な刀剣といえます。時代が下ると、本作は江戸期に対馬藩主・宗家の手に渡り、対外防衛や朝鮮通信使の応接など、藩主の権威を示す重宝として受け継がれました。明治に入ると、政治家・伊東巳代治伯爵がこの日本刀を愛蔵し、近代国家形成の要人が中世武家文化の粋を継承した事例として、刀剣史・文化史の双方から高く評価される来歴を備えています。

まとめ
国宝「太刀 銘 貞次」は、古青江派を代表する刀工・貞次の技量を大きく示した、日本刀美の結晶ともいえる一振りです。腰反り高く小鋒におさまる気品ある太刀姿、小板目肌がよく詰んだ澄肌風の地鉄、落ち着いた中直刃に小丁子小乱がまじる刃文など、すべての要素が高度な均衡を保ちながら、古青江ならではの出来を見せています。後鳥羽院御番鍛冶としての格式、対馬宗家での藩主重宝、明治期における伊東巳代治伯爵の愛刀という来歴は、一本の刀剣が中世から近代にいたるまで、政治権力武力教養の象徴として生き続けたことを物語っています。現代においても、本作は単なる美術品ではなく、日本刀の歴史そのものを凝縮した存在であり、姿出来由緒の三拍子がそろった理想的な名物として、日本刀鑑賞や研究のうえで欠かすことのできない指標となっています。

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