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公開日:2026/01/24  

国宝指定の日本刀「生駒光忠」とは?

国宝指定の日本刀「生駒光忠」とは
生駒光忠は、備前長船派の刀工「光忠」の作と伝わる国宝の刀剣です。

概要

生駒光忠(いこまみつただ)」は、鎌倉時代中期に備前長船派の祖とされる刀工・光忠が鍛えたと伝わる国宝の日本刀で、現在は東京・永青文庫に所蔵されています。刀身には本阿弥光徳による金象嵌銘「光忠 光徳花押 生駒讃岐守所持」が刻まれ、鑑定の権威によって出来栄えが保証された名品として知られます。豊臣秀吉に仕え、讃岐一国を領した大名・生駒家に伝来したことから「生駒光忠」と号し、享保名物帳には載らないものの、諸大名家に秘蔵された「御家名物」級の刀剣として名声を博しました。現在は、細川家伝来のコレクションを基盤とする永青文庫を代表する国宝刀剣四口の一振として、展覧会でも中核的な存在となり、多くの刀剣ファンや研究者を惹きつけています。

時代背景

生駒光忠の作刀年代とされる鎌倉時代中期は、武家政権の確立とともに実戦用としての日本刀が飛躍的に発達し、美と機能を兼ね備えた刀剣が各地で生まれた時期です。備前国(現在の岡山県)は、良質な砂鉄と炭、さらに運送に適した吉井川水系を背景に、「備前物」で知られる一大刀剣生産地として栄えました。その中心である長船からは、光忠をはじめとする名工が輩出されます。とりわけ備前長船派は、豊かな地鉄と華やかな丁子乱れの刃文を特色とし、戦場での信頼性と鑑賞性を兼ね備えた刀を供給したことで、武士たちの厚い支持を得ました。こうした社会的需要と技術的成熟の上に生まれたのが生駒光忠であり、後世に至るまで「中世武家文化の結晶」としての刀剣美を体現する作として高く評価され続けています。

作刀から現在までの歴史

生駒光忠は、鎌倉中期に備前長船の光忠によって鍛造されたのち、初期の詳しい来歴は明らかではありません。しかし戦国から安土桃山期にかけて生駒家の所持となり、そこで「生駒光忠」の号が定着したと考えられています。豊臣政権下で大名層が名物級の刀剣を競って蒐集するなか、生駒家も家格を象徴する代表的名刀として本刀を秘蔵し、本阿弥光徳に金象嵌銘を入れさせたことで、その鑑定と名声は決定的なものとなりました。
ところが、生駒家は江戸前期の「生駒騒動」により一度改易され、その後旗本に復したものの、この刀の動向は一時、史料上から姿を消します。明治33年(1900年)、細川家第16代当主・細川護立が、10代のころ母から小遣いを前借りしてまで購入した最初期のコレクションの一口がこの生駒光忠でした。以後、細川家伝来の文化財とともに永青文庫へ受け継がれ、戦後に国宝指定を受けて、現在も厳重な保存と公開が行われています。

生駒讃岐守とは

生駒讃岐守」とは、豊臣秀吉に仕えて讃岐一国を領した武将・生駒親正、ならびにその子・生駒一正ら、生駒家当主が帯びた官途名を指します。金象嵌銘にある「生駒讃岐守所持」という文言は、本刀が生駒家の威信を象徴する存在であったことを端的に物語ります。生駒親正は四国攻めなどで功を立て、讃岐高松を拠点とする大名として豊臣政権下の有力者の一角を占めましたが、その家格にふさわしい名刀を備えることは、武家社会における権威表現として極めて重要でした。
一方、金象嵌を入れさせたと伝わる生駒一正は親正の子で、天正末年から慶長期にかけて家督を継いだ人物とされます。この時期に本阿弥光徳へ鑑定を依頼し、「家の名物」としての格式を明確に打ち出したと考えられます。生駒光忠という号は、単に作者名と所持者名を示すにとどまらず、戦国大名・生駒家の栄枯盛衰と、刀剣を通じた「武家の美意識」を凝縮した象徴として読み解ける点に、日本刀史上の大きな意義があります。

まつわる逸話

生駒光忠にまつわる代表的な逸話としてよく語られるのが、細川護立が10代の若さで母親から小遣いを前借りし、最初期のコレクションとして本刀を求めたというエピソードです。当時の近代日本では、日本刀が徐々に「武器」から「美術品」へと再評価されつつありましたが、護立はその潮流を先取りするかのように刀剣を体系的に収集し、とりわけ生駒光忠のような中世の名刀に強い関心を示しました。
生駒光忠は享保名物帳に記載されない「御家名物」クラスであったため、長らく一部の専門家と旧大名家にしか知られない存在でした。しかし護立の眼によって再び世に姿を現し、永青文庫の展覧会では国宝刀剣四口の一つとして「細川心酔の名刀」として紹介されるに至ります。展示解説や観覧記録でも、ややずんぐりとした力強い姿と、「もけもけ」と形容される豊かな刃文が強い印象を与えるとされ、単なる歴史資料にとどまらず、現代の刀剣ファンにとっても「一度は会いたい日本刀」として語られる存在になっています。

まとめ

生駒光忠は、備前長船光忠の優れた鍛えに加え、豊臣大名・生駒家の所持、そして近代の美術蒐集家・細川護立による再評価が重なり合って、国宝指定と高い名声を獲得した日本刀です。鎌倉期の刀工技術の粋を示す地鉄と刃文、武家権威の象徴としての来歴、近代美術史におけるコレクション形成——この三つの観点が一振りの刀剣に凝縮されている点は、現代まで続く数多くの刀剣の歴史の中でも、特に際立つ存在と言えます。永青文庫では、他の国宝刀剣や肥後金工の刀装具とともに折に触れて公開されており、実物を見ることで、写真等では伝わりにくい姿・地刃の魅力を体感できます。日本刀は単なる武器ではなく、時代背景、持ち主の歴史、美術としての造形が一体となった総合文化財であり、生駒光忠はそれを最もわかりやすく示してくれる、永青文庫を代表する国宝刀剣の一つと言えるでしょう。

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