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公開日:2024/04/01  

明石国行とはどんな刀?鎌倉時代に生み出された刀剣の魅力を解説!

鎌倉時代に生み出された刀剣の魅力
明石国行は、鎌倉時代を中心に活躍した来国行が作刀したものです。武士の間でも最高傑作として知られ、数々の戦で重宝されてきました。明石松平家に伝来したことが名前の由来です。そこで当記事では、明石国行の魅力について深掘りしていきます。現在では、刀剣博物館に収蔵されているので、実際に鑑賞することもできます。

明石国行とは?

そもそも明石国行にはどのような特徴があるのでしょうか。国宝指定された日本刀のルーツを見ていきましょう。

明石国行って何?

明石国行(あかしくにゆき)は鎌倉時代後期につくられた日本刀です。国宝指定されている太刀で、現在は東京都にある刀剣博物館で保管されています。明石国行をつくったのは、来派の祖である刀工・来国行(らいくにゆき)です。数ある作品の中でも、明石国行は秀でた太刀であり、足利義明や池田輝政などが愛用していたといわれています。

明石国行の特徴

刃長76.5cm、反りは3.1cm、元幅は3.03cmです。中反りが深く、身幅が広くつくられています。重厚感があり、腰反りは高く、三鈷柄剣の浮彫があります。また目釘孔下の峰、棟寄りには二字銘が記されているのが特徴です。棒樋内には「三鈷柄剣」があり、インドの祭神具のひとつである不動明王をあらわしています。迫力を感じさせる威圧的なデザインです。

名前の由来

明石国行の由来は、明石松平家に伝わっていたことが関連しています。どのような経緯で、松平家に伝来したのかは明らかになっていません。ですが一説によると、明石国行を使っていた足利義明や池田輝政が影響しているといわれています。ハッキリとした由来はわかりませんが、名をはせた武将たちが好んで使っていたことは間違いないようです。

来派の祖である刀工・来国行が制作

来派の祖である来国行とはどのような人物なのでしょうか。来歴についても解説していきます。

刀工・来国行とは

来国行の活動の中心は山城国で、鎌倉時代中期から南北時代にかけて数多く作刀しました。当時は、武士が大きな権力を持っていたことから刀工の需要が高くなっていました。また鎌倉時代中期の日本侵略をキッカケに、来派独特の実践向きの太刀が広まるようになったといわれています。太刀をつくることが多かったため、短刀はあまり現存していません。幅が広く、反りが高くなっている作品が多いです。

来歴 明石松平家に伝来

来歴は不明点が多いです。明石松平家に伝来したことはわかっていますが、詳細は不明です。一説には、長崎為基が持っていた国行作が磨り上げで太刀になり、そのあと足利義明を経由して明石松平家に伝わったといわれています。しかし、実際には明石国行には磨り上りの跡がないことから、誤りの可能性が高いです。

来歴 近代

1937年5月25日に重要文化財に指定されました。1940年「紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会」へ出展され、そのあと刀剣コレクターとして有名な藤沢氏のもとへわたりました。そして、1953年3月31日には国宝に指定されました。

現在は刀剣博物館に収蔵

国宝指定されたあと、刀剣博物館に収蔵されています。国宝とはどういったものなのか、また刀剣博物館についてもご紹介していきます。

国宝に指定

現在でも、数多くの太刀銘国行は全国各地に保管されています。太刀銘国行とは、国行の銘が刻んである太刀のこと。太刀銘国行は、明石国行という別名も持っていて、ほかの作品よりも希少性が高いです。現在は刀剣博物館に所蔵されており、一般の方でも鑑賞できます。

国宝の条件

国宝とは、その名のとおり国の宝として価値があると認められたものをさします。日本刀や美術工芸品、建造物などが当てはまります。明治維新の中期から「文化財保護法」が施工され、日本の貴重な文化財が海外に流出しないよう定められました。

国宝の基準は、重要文化財に指定されていることです。文化庁が調査をおこない、文部科学大臣が審議会をひらきます。厳格な調査や審議のもと、国宝指定するか決定します。

刀剣博物館とは

刀剣博物館は、日本の歴史を知ることができ、刀剣好きにはたまらない場所です。刀剣を鑑賞するだけではなく、実際に手にとることもできるので、迫力や重みを体感できます。日本刀は武器としてだけではなく、美術品としての側面もあります。

歴史や文化を広めていく役割をになっており、価値や魅力を後世に伝えようという気持ちから運営しています。また施設内には、お土産コーナーや情報コーナー、カフェスペースもあるので観光スポットとしても有名です。日本の歴史を学びながら、ゆっくりくつろげる人気施設です。

まとめ

本記事では、日本刀である明石国行についての魅力を解説してきました。鎌倉時代に来派の祖である来国行によってつくられた作品です。明石松平家に伝来してことが始まりとされており、そのあと数々の有名武将の手に渡ってきました。幅が広く、反りが高くなっている点が特徴であり、実践向きの太刀として武士の間で人気があったようです。現在では刀剣博物館で見られるので、興味のある方は足を運んでみるのもいいでしょう。日本の歴史や魅力を知る素晴らしい機会になります。

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