遠い昔に誕生し1000年を超える歴史を持った日本刀は、時代によっていろいろな扱い方をされています。ではその中で、特に移り変わりが激しかった戦後にスポットを当ててみましょう。法律を含めて、現代の刀の扱いの基礎ができた時代でもあります。
戦争直後に刀狩りがおこなわれました
戦後どのような変化があったのかを知るためには、まず戦前の刀の扱いを知っておかなければなりません。侍がまだ刀を腰に差していた江戸時代から明治に移り変わると、近代化に伴う廃刀令によって普及率は大幅に下がりました。それと同時に大勢の刀匠が廃業しているため、全体で見ると大幅な衰退と言えるでしょう。
しかし主にサーベルが使用されていた旧日本軍の軍刀が次第に日本刀式になったため、使用される場面は少なくありませんでした。つまり武器として十分に使用できたので、戦後ではそれが仇となり、接収の対象に含まれることになりました。
戦争が終わると日本が保有するありとあらゆる武器類が武装解除の名目で破棄の対象となり、大砲や鉄砲といった威力の大きいものだけでなく、刀もそこに含まれました。そして一定の長さがあれば種類や目的は問わず、展示目的の芸術品であっても一通り接収されています。
非常に乱暴なやり方ですが、日本の精神を象徴する日本刀を破棄することで、人々の心を折るという側面もあったからだと考えられています。そうして集められた刀はガソリンをかけて燃やされたり、海に捨てられるといった処遇を受けました。
その数は記録として残っている限りの軍刀で約23万本、それ以外の日本刀ではおよそ89万本に及びます。あくまでも記録ができたものが対象の数なので、全体では300万本以上になるという説もあります。
また接収の被害を逃れるために、個人の規模では長さを一定以下に加工したり、鉈など別の道具にしてしまうというような対策もされました。接収は金属探知機で発見されるという噂が流れるほどの勢いで進められ、それを隠すために土の中に隠したため、最終的には朽ち果ててしまったという例もあります。
そのような場合も含めると、接収・破棄の影響を受けたものはさらに数は増えることでしょう。そもそも接収する側には日本刀の芸術的な価値がわからずに、ただの武器として淡々と処分する人も少なくありませんでした。
そしてたとえ価値が認められたとしても、そのまま略奪されたと考えられるものがいくつもあります。その中には鎌倉時代に作られたとされる蛍丸という名刀も含まれ、現代でも行方がわかりません。そのため他の刀と一緒に破棄されたり、ひそかに隠されているなどの逸話が数多くあります。旧国宝に指定されていたほど貴重なもので、戦後の刀の扱いとセットで挙げられることも多いです。
そういった一連の接収・破棄の流れは近代の刀狩りと称され、豊臣秀吉がおこなった刀狩りと明治の廃刀令と合わせて、刀の三大受難と呼ばれることもあります。
返還されたものも数多くあります
ただ日本政府としては芸術的な価値があることがわかっていたため、返却するように働きかけ、接収された内の約5,600口の日本刀は実際に返ってきています。その元となったものが東京の赤羽にあった基地に集められていたため、赤羽刀という名前でも有名です。
赤羽刀は元の持ち主に返却するのが基本でしたが、実際にそれが実現できたのは1,000と少しで、残りの約4,000口は国の所有となりました。そこから長い年月が経ち1999年になると、その赤羽刀の内3,000口近くが広く知らせるために、全国の博物館へと譲渡されました。
したがって戦前から伝わる刀を目にする機会は、日本のいたるところにあります。赤羽刀展という名前で展示されることも多いので、気になる場合は探してみると良いでしょう。
現代では芸術品扱いでのみ所有できます
そのような経緯を持つ刀は現代日本ではもちろん武器として使用してはいけないので、芸術品としての扱いでのみ所有が認められています。申請は特に難しくなく、各自治体の都道府県に届け出て所有者と結びつけるだけです。その認定証とセットにしたうえで、所定のルールを守れば持ち運ぶこともできます。
ただこれが外国の刀や近代の刃ものだとそう簡単には認定されないので、昔から芸術品として認められている日本刀だけの特別扱いと考えるのが妥当です。また刀は戦前のものばかりではなく、現代であっても刀匠はいて、数多く新作が世に出ています。そうして実際に登録されている日本刀は、200万以上の数があります。そのため決して昔の道具ではなく、現役の文化と言えるでしょう。
見境のない刀狩りによって、歴史的・芸術的な価値を持った名刀がたくさん失われてしまったのは非常に残念なことです。しかしその全てが憂き目に遭ったわけではなく、価値が見抜かれたり外国に渡っていたなどで、破棄を免れた名刀は数多くあります。
もし長い歴史を伴った刀に出会える機会があれば、それが現代に残るにいたった過程にも目を向けてみると良いでしょう。激動の戦後を渡ってきたからこそ、尋常ではない背景を知ることができる可能性が高いです。