日本刀と皇族にはどんな関係があるのでしょうか?一般的に日本刀というと、武士やサムライが武器として使っていたイメージが強いアイテムです。ところが本来日本刀は、皇族とも深い関係があります。では一体どんな関係があるのでしょうか。今回は、日本刀と皇族の深い関係について詳しくご紹介します。
激動の幕末に即位した孝明天皇
孝明天皇とはどんな天皇なのでしょうか?こちらでは孝明天皇について詳しくご紹介します。
孝明天皇とは?
孝明天皇とは、日本の第121代目の天皇です。孝明天皇の読み方は「こうめいてんのう」と読みます。1831年に仁孝天皇の第4皇子として生まれ、1846年に16歳で天皇に即位し、1866年に崩御(亡くなる)しました。在位年数は約20年間、享年は36歳です。孝明天皇は2023年現在からみると、おおよそ200年前に生きておられた天皇ということです。
天皇の系図から見た孝明天皇とは?
天皇の系図からみた孝明天皇は次の通りです。
・第120代仁孝天皇(父親)
・第121代孝明天皇(本人)
・第122代明治天皇(子)
・第123代大正天皇(孫)
・第124代昭和天皇(曾孫:ひまご)
・第125代平成天皇(玄孫:やしゃご)
・第126代令和天皇(来孫:らいそん)
孝明天皇が生きた時代とは?
こちらでは孝明天皇が生きた時代についてわかりやすく紹介します。1831年に、孝明天皇がお生まれになります。前年は、のちの明治維新に強い影響を与えた吉田松陰(よしだしょういん)が生まれた年です。1837年孝明天皇6歳の時に大塩平八郎の乱が起こります。
1846年3月10日、孝明天皇は16歳で天皇に即位されました。同年アメリカ軍のジェームズ・ビドル提督が軍艦2隻で、浦賀に来航し通商を打診しますが、当時の浦賀奉行が通商拒否・退去通告をだします。1853年孝明天皇22歳の時、アメリカ軍のペリー提督が浦賀に来航し、翌1854年に日米和親条約が結ばれます。
1860年 孝明天皇29歳の時、桜田門外の変が起こり、また咸臨丸がアメリカ航海をしました。1864年孝明天皇33歳の時、新撰組の池田屋襲撃が起こります。1866年孝明天皇が36歳で崩御されます。同年薩長同盟が結ばれ、翌1867年徳川第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が大政奉還をして江戸幕府が終わります。
日本を守るため攘夷論を唱え続けた
孝明天皇は攘夷論を唱え続けた天皇といわれています。こちらで詳しくご紹介します。
攘夷論とは何か?
攘夷論とは、外敵を追い払い、彼らを日本国内に入れないようにする排外思想のことです。攘夷の「攘」には払いのける「夷」は異民族という意味があります。攘夷論は、孝明天皇が生きた時代に強くなった当時の思想でした。攘夷論の読み方は「じょういろん」と読みます。ちなみに攘夷論は、孝明天皇が生まれる前から強くなってきた「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という考えがもとになっています。
孝明天皇は激しい攘夷論者だった
歴史をひも解くと、当時の孝明天皇は激しい攘夷論者だったといわれています。一体なぜでしょうか?理由はいくつかあります。もともと孝明天皇は、京都から一度もでたことがありませんでした。そのため生まれてから一度も外国人を見たことも、話したこともなく、孝明天皇にとって外国人は非常に異質で、理解ができない存在でした。
さらに孝明天皇の耳に入ってくるのは、巷で外国人が傍若無人な振る舞いをしているという悪い噂ばかりです。そのため孝明天皇は普段から外国人に対して憎悪を募らせていたといわれています。そして徐々に攘夷論という思想が孝明天皇の中に形成されるようになります。また当時の孝明天皇の近くには、攘夷論者が多く、ますます攘夷論が強くなって行きました。そして決定的なことが起こります。1858年、当時の徳川幕府は天皇の許可を得ずに、アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を結びます。
これらのことから、孝明天皇の外国人嫌いはますます拍車がかかり、激しい攘夷論者になっていきました。実際、当時の外国人は日本の文化や制度に対する尊敬がなく、植民地に対するような態度をとっていたといわれています。孝明天皇はこのままでは外国人から日本が壊されると考え、日本を守るために攘夷論を唱え続けました。
孝明天皇にまつわる刀剣と逸話
孝明天皇には、刀剣にまつわるどんな逸話があるのでしょうか?こちらで詳しくご紹介します。
第14代将軍徳川家茂に節刀を下賜する
孝明天皇にまつわる刀剣に関する逸話は、徳川幕府第14代将軍徳川家茂に節刀を下賜したことです。節刀を下賜するとは、出征する将軍に「錦の御旗」や「大義名分」を持たせるという意味があります。この時孝明天皇が徳川家茂に節刀を下賜した理由は、徳川幕府に攘夷を遂行させることでした。ただし、この時の節刀の下賜は実現しませんでした。
まとめ
今回は、日本刀と皇族の深い関係についてご紹介しました。今回のポイントをまとめると、日本刀と皇族には深い関係があるということです。とくに有名なのが、節刀を下賜する話です。節刀を下賜する話は、坂上田村麻呂の蝦夷討伐から行われている重要な儀式になります。また、節刀を下賜する話以外にも、いろいろな逸話があります。本記事が、日本刀と皇族の深い関係について詳しく知りたい方に届けば幸いです。