鶴丸国永とは、一流の刀職人である五条国永がつくった作品です。唯一無二の最高傑作であることから、織田信長をはじめ名だたる武将がこの刀をふるってきました。そこで当記事では、御物・鶴丸国永についてご紹介していきます。エピソードも交えて解説していくので、国宝級の魅力を知ることができるでしょう。
鶴丸国永とは
そもそも鶴丸国永とは、どういった日本刀なのでしょうか。刀の特徴について解説していきます。
鶴丸国永って何?
鶴丸国永(つるまるくになが)は平安時代に作られた太刀です。腕利きの職人、刀工・五条国永の作品で、名だたる武将たちが愛用してきたといわれています。安達貞泰や北条貞時、織田信長などが使っていたことから、優れた太刀であることは明確です。
鶴丸は120年ほど消息不明となり、1703年に藤森神社で見つかったあと、本阿弥家から伊達家へと受け継がれたそうです。藤森神社で見つかった理由などは、ハッキリとわかっていません。現在は「御物」として、宮内庁で管理しています。滅多にお目にかかることのできない伝説の日本刀です。
鶴丸国永の特徴
「これほどの刀は存在しない」といわしめるほどの名刀です。太刀に分類され、五条国永がつくった刀剣の中でもっとも評価されています。平安時代特有の優美さと、格調高さを表現しています。金筋や、腰反りの高さは、平安から鎌倉にかけての時代背景が映し出されています。
また白い波の模様や、丁子の実を連ねた形、不規則な乱れが特徴です。長さ約78.6cm、反り約2.7cm、茎反0.30cm、元幅2.73cm、元重0.67cm、先重0.39cm、茎長18.18cm。五条国永らしい、ずっしりとした重厚感のある仕上がりです。
鶴丸国永にまつわるエピソード
鶴丸国永にまつわる言い伝えを4つご紹介します。名刀と呼ばれるまでのルーツを明らかにしていきましょう。
紅葉伝説
鶴丸国永の最古の所有者である、平維茂(たいらのこれもち)のエピソードを紹介します。この人物は「紅葉伝説」で鬼女を退治した武将です。937年、子宝に恵まれない夫婦がいました。
ある日夫婦は、魔王に祈りを捧げ女児を授かります。魔王の力によって授けられた女児の名はクレハ。不思議な妖力を使う娘に成長したクレハは京へと向かいました。しばらくして結婚し、子を身ごもりました。当時流行っていた病が、クレハの呪いによるものだと疑われ、村人から追放処分を受けます。その腹いせからか、夜な夜な村を荒らして回るようになりました。
クレハの噂はすぐに「戸隠の鬼女」として周囲に伝わります。そこで「戸隠の鬼女」を撃退しようと動いたのが平維茂です。維茂は鶴丸国永を使い、クレハと交戦。結果的に、クレハは首をはねられ33年の生涯を閉じたのでした。
鶴丸国永の来歴
鶴丸国永は「紅葉伝説」で紹介した平維茂が所持していました。鎌倉時代には、安達貞泰が入手します。霜月騒動で安達が滅ばされたあとには、第9代執権・北条貞時が手に入れます。このとき北条は、太刀がほしいあまり安達の墓を掘りおこしたとされています。
その後、信長から三牧勘兵衛へと引き継がれたのち、伏見藤森神社におさめられました。諸説あるので詳細な来歴はわかっていません。最終的には明治天皇に献上されたあと、国宝となり宮内庁で管理されています。
鶴丸国永は五条国永がつくった
前述でお伝えしましたが、鶴丸国永は五条国永がつくった日本刀です。国永が活躍した平安時代には、後世に名を残す名刀が次々あらわれました。日本刀の始祖といわれる天国や、山城伝の祖である三条宗近などが有名で、平安時代につくられた刀はどれも秀逸でした。国永は、五条派の始祖五条兼永を父に持ち、その地位を確立していきました。
鶴丸国永の名前の由来
名前の由来には諸説あります。鶴丸国永は、蒔絵で鶴の紋様が施されていたことから「鶴丸国永」と呼ばれるようになったという説があります。また安達家や、北条家の来歴によると、鎌倉幕府が神社へと奉納する太刀に鶴丸の紋を入れていたそうです。
安達氏から北条氏へと渡ったあと、神社に奉納され鶴丸の紋を入れられました。このような説があり「鶴丸国永」と呼ばれるようになったそうです。ハッキリした名前の由来はわかっていません。
御物のため滅多に見られない
鶴丸国永は御物なので、なかなか人前にはでません。希少価値の高い国宝だからです。この章では、魅力についてさらに深掘りしていきます。
御物とは
御物とは、皇室の私有品として天皇家に伝来した美術品や古文書などのことをさします。鶴丸国永もその中の一つです。御物の中には日本刀も複数含まれており、その理由としては、天皇が「愛刀家」であったことが大きいといわれています。
古い時代から希少性が高い
鶴丸国永は、平安時代から希少価値の高い刀でした。なぜなら、五条国永の作刀は太刀が3口、剣が1口だけだからです。五条派は、山城国で三条派に続いて登場しました。現存する在銘作は少なく、古い時代から宝刀として珍重されていました。
藤森神社でしか見られない
京都の藤森神社に鶴丸国永の写しがあります。本科は展示予定がないので、国永がつくった名刀を見られるのはここだけです。平維茂から始まり、安達泰盛、北条貞時などから引き継がれてきた刀なので、一度はお目にかかりたい代物です。戦国時代には織田信長も使っていたこともあり興味のある方も多いでしょう。
まとめ
本記事では、五条国永の最高傑作である鶴丸国永について解説してきました。唯一無二の作品であることから、平安時代から名だたる武将たちの手に渡ってきました。平安から鎌倉にかけての時代背景が色濃く反映された名刀です。現在は、国宝として宮内庁に保管されています。御物である日本刀なので、なかなか実物を見る機会は少ないでしょう。