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公開日:2020/08/01  

伊達政宗が使用していた刀について解説

独眼竜政宗の異名をもつ伊達政宗。16世紀後半から17世紀前半にかけて、数々の戦で武功を立てていて、江戸時代初期には奥州を代表する大名となりました。歴史に名を残すこの武将には、愛用していた「刀」が存在します。果たしてどのようなものなのでしょうか。

伊達政宗とはどのような人物なのか

伊達政宗は、奥州の50余りにおける郡の領主として、仙台に青葉城を築き、独眼竜政宗の異名でその名が轟いた武将です。青葉城は政宗によって大規模な土木工事を実行して、青葉山に石垣や土塁で防御した本丸を築き上げました。

独眼竜政宗という異名がついたのは、幼少期に患った天然痘によって右目を失明し、隻眼なったことに由来します。伊達政宗は1590年、豊臣秀吉による小田原攻めのとき、わずか24歳の若者でありましたが、大いに手柄を立てています。

さらに1600年の天下分け目の関ケ原の戦いでも、武功をあげていて、その名を広く轟かせています。関ケ原の戦いの後に、徳川家康の許可を得て、居城を仙台に移し城と城下町の建設を始めました。

江戸幕府が開かれると幕臣たちとの交流を積極的に行って情報収集に努めています。その後は2代将軍徳川秀忠や3代将軍徳川家光の代まで仕え、1636年に病気で亡くなっています。伊達男と言われた通り、臨終の際には妻子にも死に顔を見せなかったと伝えられています。

くろんぼ切りの異名をもつ太刀を好んでいた

伊達政宗は1592年にあった朝鮮の役に従って、韓国にある蔚山を攻めて陥れています。この戦いの際に見に帯び用いた太刀が「くろんぼ切り」の異名を有する備前景秀の作品でありました。

備前景秀とは、鎌倉時代中頃の備前国長船派の日本刀を作る職人です。初代である光忠の弟といわれているが、詳細なことはわかっていません。この太刀は長すぎるために、茎尻より切り縮めて全体を短くしています。この茎の先に細鏨で大きく景秀の二字銘があります。現在における刃の長さは約70センチメートル、反りが約1.8センチメートルとなっています。非常に歴史的な価値があるため、重要文化財に指定されています。

くろんぼ切りの異名の由来については、伊達家の記録に残されています。それによれば、文禄の朝鮮の役のときに、朝鮮の地で猿を切ったからだといわれているそうです。どのような猿かについては詳細不明ですが、恐らくは毛色の黒い大きな猿を退治したのではないかと推測されています。猿はとてもすばしっこい動物であるが故に、よほどの腕がなければ斬れないとされています。

つまり、政宗の剣の腕の確かさと、備前国長船派の中でも屈指の作品であったことから、このような異名が付けられたと考えられています。いずれにしても、非常に出来が優れている太刀であることは間違いありません。

政宗が何故くろんぼ切りの号をつけたのか、その真意は今でも不明ですが、かなり愛でて好んでいたことには変わりはないでしょう。この他にも伊達家には、太鼓鐘貞宗や大倶利伽羅広光など、政宗自慢の道具がたくさんあったといわれています。

伊達政宗の刀に関するエピソード

伊達政宗については、刀に関する面白いエピソードが伝えられています。ある時に、江戸城内である大名から「伊達政宗殿の御差料は定めし正宗でござろうの」と尋ねられ、政宗は「いかにも正宗を帯用致してござる」と答えました。ちなみに御差料とは、自分が差すための刀のことをいいます。

ところが、そのときに政宗が帯用していたのは、何と正宗ではなかったのです。そのため、早速屋敷に帰って、家来に蔵の中から正宗の脇差を探させましたが、結局は見つかりませんでした。脇差とは、長さが30センチメートル以上、60センチメートル未満の小さな刀のことです。

そこでやむを得ず、政宗の刀を茎尻より切り縮めて脇差に拵えさせました。この脇差というのは、第二次世界大戦が終わるまでは伊達家にありました。しかも、切り取った茎の先が残っていて、正宗の二字銘があったといわれています。

政宗はこの脇差に「振り分け髪」という号をつけました。何故この号をつけたかといえば、平安初期に成立した歌物語である『伊勢物語』に出てくる「くらべ来し振分髪も丈すぎぬ君ならずして誰れかあぐべき」という和歌から取ったからです。

ちなみにこの和歌は、これほどの名刀を、あなた以外には誰が摺り上げる(茎尻より切り縮めて全体を短くすること)など出来ようか、いや出来まいという意味です。この脇差には、真偽や諸説など色々あるといわれていますが、歌物語の由来を楽しんだ方が平和かもしれません。

 

伊達政宗が使用していたもので有名なのが「くろんぼ切り」の異名をもつ剣です。文禄の朝鮮の役で活躍したものですが、この名前がついた由来を調べてみると、政宗という人物はかなりの剣の達人であることがわかります。

また政宗は、くろんぼ切りに他にも、色々な剣を数多く愛用していたといわれています。これだけの刀コレクターだったことから、剣に関するエピソードもたくさんあるようです。伊達政宗という人物について、剣の観点から調べてみると面白いかもしれません。

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