宮本武蔵。刀好きならその名を耳にしたことはあるでしょう。この記事では、そんな宮本武蔵の基礎知識をわかりやすくご紹介します。二刀流の元祖としての宮本武蔵をさまざまな視点から解説しますよ!刀に興味を持ち始めたばかりの人はもちろん、宮本武蔵の基礎知識をおさらいしたい人もぜひチェックしてみてください。
宮本武蔵は二刀流の元祖?
そもそも二刀流とは、左右の手にそれぞれ刀をもって戦う剣術のことです。二刀剣法や二刀とも呼ばれます。2本の刀を自在に操る姿がかっこいいことから、憧れを抱く人も多いのではないでしょうか。
さて、そんな二刀流ですが、元祖はだれかと聞かれると宮本武蔵(みやもとむさし)と答える人が多いと思います。宮本武蔵は戦国最強の剣豪と名の知れた人で、二天一流(にてんいちりゅう)を開きました。二天一流は、宮本武蔵の父である新免無二(しんめんむに)の二刀当理流を進化させた剣法です。宮本武蔵はこの二天一流を「五輪書(ごりんのしょ)」に記しました。しかし、結論を言うと、宮本武蔵は二刀流の元祖ではないようです。
なぜなら、宮本武蔵が生まれる200年ほど前には二刀流は存在していたといわれているからです。その根拠となるのが、堀正平による「大日本剣道史」。「大日本剣道史」では、京流・寶山流(ほうさんりゅう)・新陰流(しんかげりゅう)の流派において二刀の形が存在していたことが紹介されています。
また、吉田精顕著の「二刀流を語る」で、寶山流には上下太刀の術、つまり二刀剣法があったことが記されているのです。寶山流の起源は1370~1380年ごろであり、宮本武蔵が生まれたのが1584年なので、宮本武蔵が生まれる200年ほど前に二刀流は存在していたことがわかります。
さらに、「大日本剣道史」には「二刀の劍法は、武藏の二天一流より餘程古くから諸流にあつた、現に京流の山本勘助は天文十五年に二刀形を五本、新影流の慶長十五年の傳書に三本孰れも圖になつて居る、故に二刀を主としたのは武藏が元祖で、二刀の元祖では無い」とまではっきり記載されています。
文武両道?宮本武蔵は多彩だった!
さて、最強の剣豪として知られる宮本武蔵ですが、水墨画を描くことにも優れていたことをご存知でしょうか。実は、宮本武蔵が描いたといわれる作品が国の重要文化財にも指定されています。
その作品のひとつが、大阪府和泉市にある久保惣記念美術館所蔵の「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」です。鳥のモズが枯れた木に止まり鳴いている様子が描写され、その枯れ木には這い上がる尺取虫も描かれています。
この水墨画は、止まっているモズと這い上がっている尺取虫が静と動を表し、モズと尺取虫の生態系上の強者と弱者という関係性をも描いているといわれます。モチーフから緊迫感が伝わり、生と死についてまで考えさせられる一枚でしょう。このように、宮本武蔵の水墨画には、剣豪としての姿勢や考え方も現れているといえるかもしれません。
ほかにも、「紙本墨画紅梅鳩図」や「紙本墨画芦雁図」「紙本墨画鵜図」などが残されています。このように剣豪だけでなく芸術家の一面があった宮本武蔵は、水墨画のほかにも、仏像や木刀、書なども制作していたと伝えられています。
宮本武蔵の持つ伝説やエピソード
ここからは、宮本武蔵に関する伝説やエピソードをご紹介します。
巌流島での佐々木小次郎との決闘
宮本武蔵の伝説について聞かれれば一番に思い浮かぶのが、巌流島での佐々木小次郎との決闘ではないでしょうか。演劇や小説、漫画でもよく取り上げられる題材で、「遅いぞ、武蔵。臆したか」「小次郎、敗れたり。勝つ者がなにゆえ鞘を捨てるか。」というセリフを耳にしたことがある人も多いでしょう。
小次郎をいらだたせるために戦いにあえて2時間遅れて到着した武蔵が、小次郎を木刀の一撃で倒してしまうという戦いです。この伝説には、決闘後小次郎はまだ生きていて武蔵の弟子がとどめをさしたというものや、戦いには武蔵の弟子が参戦したというものもあります。
生涯無敗!数百人相手にひとりで勝利
「五輪書」には、宮本武蔵は13~29歳の間に各流派の強者と60回以上戦い、その決闘のすべてに勝利したと記されています。さらに、吉岡一門との決闘では吉岡清十郎・吉岡伝七郎を破ったのち、吉岡一門の弟子数百人を相手にひとりで戦い勝利したとまでいわれています。
宮本武蔵は風呂が嫌いだった
実は、宮本武蔵は風呂が嫌いだったことで有名です。生涯風呂には入らなかったとまで言われています。そのためか、髪や髭は長く伸び、身なりにはあまり気を遣っていなかったかのように描かれることもあります。さらに、そのだらしない身なりが理由で、剣術指南役の候補から外されたこともあったようです。
まとめ
この記事では、宮本武蔵の基礎知識をわかりやすくご紹介しました。二天一流の開祖である武蔵は、水墨画や木刀の制作など、芸術家としての一面を持ち合わせた人だったようです。水墨画には武蔵の剣豪としての姿勢が表れているといわれています。武蔵は吉岡一門や佐々木小次郎との決闘など、数多くの強者との戦いに勝利し、最強の剣豪と知られるようになりました。これらの伝説やエピソードの真否は不明ですが、宮本武蔵という人物は今でも多くに人々を魅了しています。この記事を読んで、ぜひ刀を見る際の参考にしてみてください。