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公開日:2022/10/15  

有名な戦国武将はどんな刀を持っていた?今川義元の愛刀をご紹介!


今川義元は、戦国時代を代表する戦国武将である織田信長によって、桶狭間の戦いで討ち取られた武将として、広く有名な人物です。義元は広い領地をおさめ、武力や政治力も兼ね備えた、当時の日本において有数な戦国武将の一人でした。そんな義元はどんな愛刀を持っていたのでしょうか。今回は、今川義元の愛刀とエピソードについて解説します。

今川義元とは

今川義元は、現在の静岡県にあたる駿河国、遠江国に加えて、愛知県の東部地区である三河国など、広い領地をおさめた、当時の日本を代表する戦国武将でした。1519年に生まれた義元には二人の兄がおり、今川家の跡取りとして適していなかったことから、仏門に出されることとなりました。その後、二人の兄が急死したために、仏門から還俗することとなり、今川家の跡取りとして台頭することとなったのです。

今川家の当主となった義元は、武田氏や北条氏といった、隣国の戦国武将と同盟を結ぶことで地盤を固め、今川家の地位を盤石なものとします。義元は、海道一の弓取りと呼ばれた豪傑で、武力だけではなく、都である京都の文化に精通し、公家や僧侶との交流も積極的に行うなど、幅広い分野に長けた戦国武将として日本中に名をとどろかせていました。戦国の世を謳歌していた義元は、1560年に尾張国へ侵攻を開始しますが、当時の尾張国をおさめていたのは、まだ名もなき弱小大名の一人である織田信長でした。

当時の信長と義元には圧倒的な戦力差があったことから、信長に負けるはずがないと甘くみていたのではと、推測されることも多い義元ですが、雨の降る中、桶狭間の地で休憩していたところを、信長から夜襲を受け、あっけないまさかの最期を遂げてしまうのです。名門、今川家の当主が、無名の信長に討ち取られた桶狭間の戦いとよばれるこのでき事は、弱小大名であった織田信長の台頭と、今川家の衰退を予感させる大事件として、当時の日本を震撼させるでき事として、日本中へと知れ渡ることとなりました。

今川義元の愛刀

高い武勇を誇るとともに、京の文化にも精通した義元は、自身の持つ刀にもこだわりを持っていました。そんな義元の愛刀は、義元左文字と呼ばれ「天下取りの太刀」としても知られた名刀です。義元左文字は、もともとは室町幕府管領である細川氏の側近の、三好政長が所持していました。

そのため、義元左文字は三好左文字とも呼ばれていたのです。政長は、この刀を甲斐国の大名である武田信虎に贈ることとなりました。義元は自国を盤石にするために、武田家と同盟を結ぶこととなりましたが、より絆を深めるため、信虎の娘である定恵院と結婚することになります。

定恵院が義元のところへ嫁ぐ際に、信虎は三好左文字を義元へと贈り、義元が持つ名刀、義元左文字として定着したのです。義元は自身が討ち取られた桶狭間の戦いの際も、義元左文字を身に着けており、勝者である織田信長の手に渡ることとなります。信長はこの刀に惚れ込み、あらためて刀身を磨き上げ、表には義元を討ち取った日にちを、裏には自らの名前を刻印するほど、気に入っていたといわれています。

今川義元にまつわる刀剣エピソード

義元の愛刀である義元左文字は、天下取りの太刀と呼ばれ、天下を目指した武将たちの手に渡り続けるという、不思議な刀でした。

まずは、義元から織田信長の手に渡り、信長の死後は豊臣秀吉が所持することとなります。その後、秀吉の息子である豊臣秀頼が義元左文字を継承し、秀頼から徳川家康へと贈られることとなるのです。天下を手中におさめようとした者たちのところへと、まるで吸い寄せられるように、義元左文字は受け継がれていきました。

戦国の世にピリオドをうつことになる徳川家康は、大阪夏の陣で豊臣家を滅亡させた際、義元左文字を身に着けていたといわれています。まさに、天下取りの太刀として、義元左文字は天下をおさめた武将たちによって、愛され続けた不思議な名刀だったのです。

今川義元の愛刀の現在

その後の義元左文字は、徳川将軍家が所持することとなり、将軍職を継承する際の証として、代々受け継がれることとなります。義元左文字は四代将軍徳川家綱がおさめる時代に起きた明暦の大火によって焼身となりますが、すぐに刀工によって再刃されます。

江戸時代が終わり、明治の世となると、明治天皇が織田信長を祀る建勲神社を創設し、徳川宗家は義元左文字を信長のゆかりの品として、建勲神社へと奉納することとなったのです。義元左文字は、現在も国の重要文化財として、建勲神社に所有されています。

まとめ

桶狭間の地で、無名の若武者であった織田信長の手によって、まさかの最期をとげた今川義元が愛した名刀である義元左文字は、天下を狙う有力武将の手元へと渡る、まさに天下取りの太刀でした。義元の手から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと受け継がれ、戦国時代から現在の令和の時代まで、変わりゆく時代を義元左文字は見続けています。令和の時代になっても、未だ残り続ける義元左文字は、まさに時代の生き証人として、今後も輝きを保ち続けることでしょう。

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