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公開日:2020/06/01  

日本の左側通行の由来は日本刀にあったって本当?

日本の道路で車などを運転するときは左側を通行するのが基本的なルールになっていますが、通行人が道を歩くときには右側を歩くルールになっています。日本が左側通行を選んだ理由として日本刀が関係している話も存在しますが、実際の流れを理解すると、どのように関係したのかが分かります。

武士が左側を歩くようになった理由とは

現代の日本人は道を歩くときなどに日本刀を持っていると銃刀法違反で逮捕されてしまいますが、昔の武士は腰に日本刀を差して持ち歩いていた歴史があります。武士は現代の日本人とは異なり左側の通行をメインにしていましたが、その理由には日本刀が大きく影響してきます。

武士の利き腕にもよりますが、右手で腰に差した刀を抜く場合は、左側の腰に刀を差しておいたほうが抜きやすいです。現代でも左利きよりも右利きの人口のほうが多いように右利きの武士の人口が多ければ、自然と左側の腰に刀を差しておくのが常識になったのも頷けます。

多くの武士が左側の腰に刀を差している状態になれば、狭い道を歩いているときに、お互いに左側通行を守れば刀の鞘の部分が当たらずに済むので、スムーズに通行ができるようになります。

鞘が当たることで喧嘩に発展してしまう危険性が昔はありましたので、自然と無駄な喧嘩を防ぐためにルール化されていった可能性が高いです。この武士独自のルールが現代にも影響して自動車などの乗り物を運転する場合は、左側通行をしなければいけないことに繋がっているという考え方が存在します。

左側通行が明文化されたのは明治時代だった

武士の時代は日本刀を左の腰に差していたことで、多くの武士が自然と左側通行を守るようになっていましたが、実際に明文化されたのは明治時代でした。明治14年に当時の警察庁により、車馬や人力車がぶつかりそうなときは左側に避けることが通達されました。

それまでは実際に人力車などを運転している人がその場の判断で対応していましたが、独自の判断に任せてしまうと事故が起きてしまうことがあったので、明文化をして道路を皆で安全に利用するようにした流れです。

明治14年の段階では乗り物をメインしたルールでしたが、明治33年には歩行者も含めて左側通行をするように警視庁令が出されました。明治33年の警視庁令では歩行者がみだりに車馬道を通行しないようにルール化されましたが、これは現代にも引き継がれています。

現代でも歩行者は道を自由に歩行することはできますが、基本的に歩行者専用の場所を歩くのがルールになっており車道を歩行者が歩いて、車の通行をわざと妨害したりすれば法律で罰せられる可能性があるので注意が必要です。

これらが明文化された当時の日本の軍隊では右側通行がおこなわれていたので、内務大臣が軍隊と統一して左ではなく右側通行にするべきだと抵抗しましたが、内務官僚から武士の時代から日本人は左側での通行を選んできたことを、日本刀を左の腰から抜き取るジェスチャーで説得した歴史があります。

侍は日本では昔から尊敬される存在なので、内務大臣も納得して完璧に左側通行がルール化される流れになりましたが、その後の昭和24年に道路交通取締法改正により対面通行が採用されたので、車馬などの乗り物は左側を走り人は右側を歩くようなルールに変更されました。

国によって左側通行や右側通行を選んだ理由が違う

日本以外にも左側を通行している国がありますが、右側通行を採用している所も存在します。フランスでは右側通行が採用されていますが、馬車を運転するときに右側のほうが運転しやすかった流れが現代でも引き継がれています。

イギリスでは左側通行が採用されていますが、右利きの人間が馬の手綱を操りやすいのが左側だったのが理由です。世界各国でいろいろな歴史により、車や歩行者が右や左で通行するようにルール化されているのが面白いですが、日本では武士が日本刀の鞘が相手に当たらないために独自に作ったルールの名残が多少なりとも影響した可能性は高いので、とてもロマンを感じます。

 

日本では自動車を運転するときに左側通行をするのが常識になっていますが、その交通ルールには日本刀が多少なりとも影響をしています。昔の日本は武士が腰に刀を差していた歴史がありますが、右利きの人間が刀を簡単に抜きやすいように左側の腰に刀を差していたので、鞘の部分が他の人に当たらないように左側を歩行するルールが独自に出来上がっていました。

実際に左側通行が明文化されたのは明治時代に入ってからですが、道路取締規則の規定をおこなった内務官僚が内務大臣を説得するときに武士が日本刀を左の腰から抜くジェスチャーをした事実があるので、日本の交通ルールに日本刀が影響したことは間違いないです。

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