Skip to content
公開日:2022/11/01  

有名な戦国武将はどんな刀を持っていた?石田三成の愛刀をご紹介!


天下人となった豊臣秀吉の元に、優秀な家臣がいたことをご存知でしょうか?また徳川家康を倒すため、有名な戦いに参戦した人物「石田三成」。豊臣秀吉のために命を掛けて懸命に働き続けた石田三成の人柄は、どのようなものだったのか?今回は石田三成が持っていた愛刀や愛刀の逸話も含めて、紹介していきましょう。

石田三成とは

安土桃山時代に名を馳せた武将・大名の1人、石田三成。彼は徳川家康と戦う豊臣家を支え、敗北した後に処刑されてしまいます。また上杉謙信に似たような性格であることもわかってきました。では石田三成とはどのような人物だったのか、紹介していきましょう。

忠誠心の厚い男

石田三成は少年時代から豊臣秀吉の部下として仕え、五奉行という重臣までになるほどの人物でした。石田三成は私利私欲もなく主君からもらった給料も、主君のために使うほど。豊臣家への忠誠心が強かったのです。また有名な1600年の「関ヶ原の戦い」では家康が天下人となることを阻止するために豊臣家につきます。変わらぬ忠誠心で最後まで豊臣家を支えました。

万人のための考え

「大一大万大吉」だいいち・だいまん・だいきちと読み、石田三成が用いたマークともいわれています。「1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は吉(幸福)」になれるという意味です。石田三成の性格を表している意味にもとれます。人々が協調性を意識することで、人間関係も世の中も円滑になり幸福へつながると石田三成は考えたのでしょうか。しかし残念ながら江戸時代前期の資料からは、見つからなかったためマークの真意は定かではありません。しかし万人のために考える石田三成の考えは、義を重んじた上杉謙信にどこか似ています。

意見ははっきりといえる

誰に対しても意見をはっきりいえる人は多くはないでしょう。石田三成は主君である、豊臣秀吉にはっきりと意見がいえる人物でもありました。当時現在の埼玉県にある忍城(おしじょう)を攻める際、豊臣秀吉は城に対して水攻めの策を石田三成に指示します。しかし現場の様子を見た石田三成は「水攻め」はできないと判断しました。すぐに豊臣秀吉にできない旨の書状を送ります。豊臣秀吉は書状を受け取るものの、最終的に水攻めの策を押し通しますが、あえなく失敗に終わるのです。残念な結果ではありますが、先を考え意見を述べることのできる真っ直ぐな石田三成の性格を表しています。

石田三成の愛刀

石田三成は刀を見る目に長け、刀への知識が豊富友いわれていました。忠誠心の厚い男が持っていた愛刀は、一体どのようなものがあったのか紹介していきましょう。

石田政宗

愛刀の1つ「石田政宗」いしだまさむねは、織田信長と面識のあった「宇喜多秀家」から贈られた刀です。刀を作ったのは天才刀工正宗。刀の特徴は刀身の棟や鎬地などに、深い疵(きず)がついているところです。模様は板目肌で値沸が厚く、波紋の湾れ(のたれ)には大きな互の目を交えた金筋や砂流しが盛んに入っていました。また深い切込みがあったことから「石田切込正宗」とも呼ばれていたのです。刀の長さは68.8cmで、重要文化財に指定されています。

日向政宗

「日向政宗」の最初の持ち主は豊臣秀吉でした。後に五奉行の重臣となった際に賜った短刀です。作ったのは天才刀工正宗。地鉄は肌目で刃文は湾れ(のたれ)に互の目が交っています。大きく乱れ、沸厚く金筋がかり裏には護摩箸も彫られていることが特徴的です。刀の長さは24.7cmで国宝に指定されています。

石田三成にまつわる刀剣エピソード

関ヶ原の戦いに参戦し、敗北した石田三成は残念ながら処刑されてしまうのです。処刑後の石田三成が所持していた刀のほとんどの行方はわからなくなっていました。しかし後に津城の城主「富田信高」が探し出した「鳥飼宗慶」(とりかいそうけい)はすぐに徳川家康へと献上されます。徳川家の九男「徳川義直」へと継がれるのです。石田三成を評価していた徳川家康なりの敬い方だったのでしょう。

石田三成の愛刀の現在

決して多くは残されていない石田三成の愛刀。では残された愛刀が現在どこにあるのか、紹介しましょう。

石田政宗

重要文化財の指定とあり、現在の所蔵は東京国立博物館となっています。

日向政宗

国宝の指定ともあるため、東京都にある三井記念美術館で展示されているのです。

鳥飼国俊

重要美術品の区分にあたります。現在では徳川美術館が所蔵しているのです。

まとめ

戦国武将の1人、石田三成と彼が持つ愛刀や愛刀の逸話を含めて紹介ました。石田三成の厚い忠誠心と先を見据えた考えに、豊臣家を多く救ったことでしょう。最期の戦いとなった関ヶ原後に多くの刀の行方は分からなくなりますが、見つかった刀は徳川家康なりに大切に継がれたことは感慨深いものがあります。石田三成を高く評価していたことが、よくわかりました。国宝・重要文化財に指定されている石田三成の刀をぜひ、各々の博物館でご覧になってはいかがでしょうか。

よく読まれている記事