現代では御物として扱われている刀剣のなかに、平安時代に作られた鶯丸があります。鶯丸は日本三名匠と呼ばれる友成の作刀のなかでも、屈指の出来栄えを誇るといわれる名刀です。そこでこの記事では鶯丸とはどんな刀剣なのか、制作者、歴代の持ち主などについて紹介していきます。日本刀に興味のある方はぜひ最後までお読みください。
鶯丸とは
鶯丸は平安時代に備前で活動した刀工の友成によって作られた刀剣です。友成は父の実成とともに一条天皇の御剣を鍛えたといわれており、古備前派を代表する名工のひとりとして知られています。通称として平三郎や権太夫とも呼ばれていました。山城国の宗近、伯耆国の安綱と並んで日本三名匠と称されています。
備前では正恒とともに双璧とされており、備前鍛冶の祖または長船鍛冶の祖として伝えられました。また友成は、日本史上で著名な人物の佩刀を数多く鍛えていることでも有名です。源義経や平教経、平宗盛、北条貞時などの人物が友成の鍛造した刀剣を佩刀していました。鶯丸のほかにも友成が制作した刀剣は、国宝や重要文化財、重要美術品に指定されている名刀が数多くあります。
また、平安時代だけでなく鎌倉時代に作られた友成の刀剣もあったことから、一代限りではなく異なる時代に友成の存在があったとされています。これが襲名なのか、昔の名工を慕って名乗ったかについてははっきりしていません。そんな友成の最高傑作といえるのが鶯丸です。鶯丸の刃長は81.81cm、反り2.73cm、元幅2.97cm、先幅1.70cm、元重0.69cm、先重は0.52cmです。佩表には備前国友成の5字銘を切っています。
鶯丸という独特な名称の由来は明らかではありませんが、室町時代の刀剣書には名物として記されておりその頃には鶯丸の呼称がありました。刀工の個名がわかる刀剣としては、もっとも古いもののひとつです。数多く残る古名刀のなかでも最上級に位置づけられる存在で、力強さだけでなく華やかさも兼ねそろえた人気の名刀です。
鶯丸の歴代の持ち主
鶯丸の歴代の持ち主ですが、もともとは足利将軍家の重宝として秘蔵されていました。その後、室町幕府6代将軍の足利義教が、結城合戦で戦果を挙げた小笠原政康へ褒賞として感状とともに与えています。結城合戦は1441年に鎌倉公方足利持氏の遺児たちが室町幕府に対して起こした戦いで、信濃国守護であった小笠原正康は幕府側の副将軍として参戦しました。
その際、女装して逃走していた足利持氏の遺児、春王丸、安王丸を捕らえるなど大きな功績を挙げたことが認められ、鶯丸を授かることになります。その後は明治時代に入るまで、政康の子孫である越前大野郡勝山藩主の小笠原家の家宝として受け継がれていきました。明治維新以降は対馬藩主の宗重正が買い取りいったんは宗家の元に渡りましたが、そこから秋元子爵が1,500円で譲り受けることになります。さらに秋元子爵が売りに出した鶯丸を、宮内大臣であった田中光顕が購入しました。
そして1908年11月に茨城県で行われた陸軍特別大演習の際に、田中光顕は茨城県結城に因縁がある刀剣ということで明治天皇に献上します。明治天皇は刀剣好きとして知られていました。献上前は刃にふくれがかなりあったため、高田庄左衛門に研ぎ直させ修復してから献上されたそうです。またこの際、田中光顕は2つの圀風を添えたといわれています。それ以降は現在も御物として皇室で所蔵されています。
現在は御物として宮内庁が管理
現在鶯丸は御物として宮内庁が管理しています。御物とは皇室の私有品として天皇家に伝来した品々のことで、美術品や古文書などがあります。御物には刀剣も多数含まれているのですが、それは大名から献上されただけでなく、明治天皇をはじめとする刀剣の愛好家だった天皇が収集していたからです。
ちなみに御物は宮内庁の管轄になるので、文化庁の指定区分である国宝などの対象にはなりません。また御由緒物とされる刀剣の多くは、宮中祭祀などで役割を担っています。鶯丸も毎年1月1日に宮中で実施される歳旦祭の際に使用されることになっています。
また鶯丸は御物ということもあり展示されることは少ないのですが、1997年の「日本のかたな・鉄のわざと武のこころ」で特別展示されたことがありました。現在は宮内庁の山里御文庫・御剣庫蔵に所蔵されています。
まとめ
以上、鶯丸はどんな刀剣なのかや制作者、歴代の持ち主、現在の状況について紹介してきました。鶯丸は平安時代に日本三匠と称された、古備前派の名工である友成によって制作された刀剣です。友成の作った刀剣は源義経や平宗盛など歴史上の有名な人物が佩刀していたり、国宝などに指定されていたりするものも多いのですが、そのなかでも鶯丸は最高傑作といわれています。
もともとは足利将軍家の重宝でしたが、さまざまな人の手を渡り明治時代には愛刀家で知られる明治天皇に献上されました。現在も御物として宮内庁で管理され、宮中祭祀などで役割を担い毎年1月1日の歳旦祭で使用されています。見た目の華やかさだけでなくさまざまな歴史があり、数ある古名刀のなかでも最上級の逸品といえるのではないでしょうか。