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公開日:2025/09/05  

ふくやま美術館所蔵の国宝「蜂須賀正恒」とは?

ふくやま美術館所蔵の国宝「蜂須賀正恒」とは
現在、日本の国宝に指定されている刀剣「太刀 銘 正恒」は、平安時代の刀工である正恒(まさつね)作の太刀です。

概要

ふくやま美術館が所蔵する国宝「太刀 銘 正恒(通称:蜂須賀正恒)」は、古備前派の名工・正恒による代表作とされ、阿波徳島藩主・蜂須賀家に伝来した由緒をもつ名刀です。姿は鎬造・庵棟で小切先、腰反りが高く元に踏ん張りが残る古調端正な太刀姿。鍛は小板目肌がよく詰み地沸が厚くついて地映りが立ち、刃文は直刃調に小乱れ・小丁子をまじえ匂口冴えて締まります。帽子はわずかに湾れて小丸に返り掃きかけごころを帯び、古様を示します。茎は磨上げを受けない生ぶで、勝手下がりの鑢目、目釘孔下に二字銘「正恒」を切るのが決め手となっています。刃長77.6cm、反り2.6cm、元幅2.9cm、先幅1.6cm、鋒長2.5cmの諸元が伝わり、制作当初の姿をよくとどめる完存度の高さが注目されます。正恒作の中でも最も古調で最高の出来と評価され、1952年3月に国宝へ指定されています。なお、ふくやま美術館では所蔵品展などの機会に公開されており、2025年4月3日から6月29日の春季所蔵品展でも展示対象とされるなど、現地で実見できる機会が設けられている点も魅力の1つです。

時代的特徴

正恒は平安後期から鎌倉初頭に活躍した古備前派の中核で、友成らと並び称されます。本作の高い腰反りと小切先は佩用主体の太刀様式に叶い、斬撃時の切先過重を抑えつつ抜刀・納刀の安定をもたらします。地鉄は整った板目に地沸がよくつき、映りが明瞭に立つため、地景の陰影が豊かに観取できます。刃取りは直刃基調に細やかな小乱れ・小丁子を織り交ぜ、鎌倉中期以降の大模様乱れに比べて静謐で古雅。匂口は締まり、小沸が深く、沸足がよく入るため、働きは細密ながら切先まで気持ちよく続きます。茎の勝手下がり鑢目や二字銘の素直な書風も時代相応で、古備前の典型を示す基準作として学ぶ価値が高い一振りです。また、匂出来の静かな地合に小沸がよく絡むため、光の角度に応じて刃中の働きがきめ細かく立ち上がり、古典の品格と実用性が高次元で両立する点は、日本刀様式の転換期を理解する上で欠かせない証言といえます。焼幅は過度に広がらず均整が保たれ、帽子は小丸にごく自然に返って掃きかけ風を帯びる点も、時代性を語る確かな指標です。

蜂須賀家

本作は阿波徳島藩蜂須賀家の重宝として長く伝えられ、通称「蜂須賀正恒」の呼称はその由緒に因みます。鎬地に切込痕が残ると伝わり、儀礼の飾太刀にとどまらず実戦携行の局面が想像される点も、刀剣史料としての重みを加えます。蜂須賀家は豊臣政権期に阿波一国を与えられ、江戸期を通じて徳島藩を治めた大名家で、武家文化の中核に刀装・刀剣が位置づけられました。維新後は蒐集家の手を経て、ふくやま美術館の「小松安弘コレクション」に編入。1933年に重要文化財、1952年3月に国宝へ指定替えとなっています。同館では所蔵品展等で系統比較が可能な展示が随時行われ、地域文化の核として公開と研究が継続されています。とくに現蔵の母体となった小松安弘(エフピコ創業者)旧蔵品の寄贈は、地域に名品を還流させた先駆的事例であり、刀剣文化の継承モデルとしても注目されています。徳島藩における権威の象徴としての役割も担い、伝来の確実性が作品の歴史的価値を一段と高めています。

まとめ

太刀 銘 正恒(蜂須賀正恒)」は、古備前期の美意識と機能性を高い純度で体現した日本刀です。優婉な腰反りと小切先という古様の姿、板目に立つ地映り、直刃調に小乱れ・小丁子を交える品位ある刃文、そして明快な二字銘を刻む生ぶ茎まで、学ぶべき要素が凝縮しています。鑑賞の際は、姿(反り・踏ん張り)、地鉄(板目・地沸・映り)、刃文(匂口・沸足)、帽子、茎(鑢目・銘)の順に観察すると理解が深まります。刀剣・日本刀の検索ニーズに応える観点では、正恒の作域の特徴、蜂須賀家伝来の履歴、国宝指定の根拠を押さえることが重要で、本作はその全てを満たす「基準点」といえます。学術的にも古備前研究の基準資料として引用される機会が多く、用語や見どころを体系的に学ぶ教材としても優れています。

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