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公開日:2024/05/23  

燭台切光忠の由来とは?伊達政宗の愛刀だった奇跡の刀剣をご紹介!

伊達政宗の愛刀
燭台切光忠は、備前長船派の祖である光忠が作刀しました。伊達政宗など、名だたる戦国武将が愛用していた名刀です。一時期は焼失していた奇跡の刀剣なだけに、ファンからの人気が高いです。そこで当記事では、燭台切光忠の魅力についてご紹介していきます。数々の逸話を持つ名刀なので、ぜひ参考にしてください。

燭台切光忠とは

燭台切光忠について深掘りしていきます。特徴や魅力、名前の由来などを解説していきます。

燭台切光忠って何?

燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)は、備前長船派の祖とされる光忠の作品です。鎌倉時代につくられ、伊達政宗が愛用していたことで有名です。多くの戦国武将のもとをわたり歩き、豊臣秀吉や織田信長らも使っていました。

本来は太刀でしたが、使い勝手が良くなるよう短く調整されたため「刀」に分類されます。とある有名スマホゲームに燭台切光忠をイメージしたキャラクターが登場したことで人気に拍車がかかり、一時期は保管されている徳川ミュージアムに電話が殺到したほどです。

燭台切光忠の特徴

長さ66.75cm、反り51.5cmの刀です。元先の幅差は少なく、腰元辺で反りがみられるのが特徴です。光忠の作品らしく独特の気品を兼ねそなえながらも豪快さがあります。一文字派の柔らかい刃文にくらべ、ハッキリとした光を放ち凛とした仕上がりです。

燭台切光忠の作者 長船光忠とは

作者である長船光忠は、鎌倉時代中期から活躍した刀工です。日本刀の主要産地である備前国を中心に活動していました。古備前派に見られる小乱れや、華やかな乱れ刃を焼いた豪快な作刀が得意です。刀工集団の中で、もっとも大きな流派に属し名匠といわれていました。

一門には長光をはじめ、真長や景光などの良工がたくさんいます。作品には「大丁子」の刃文がみられ、華やかさや気品さを演出したつくりが多いです。

名前の由来

名前の由来について見ていきましょう。1596年、豊臣秀吉は燭台切光忠を伊達政宗に与えました。政宗は譲りうけた刀を帯びて御前にでると、秀吉は小姓たちに「政宗に刀を盗まれた。取り返せ」といいました。その言葉を聞いた小姓たちは刀を取り返そうとします。政宗はもらった刀を奪おうとしてきたことに激怒。成敗しようと思いその刀で斬ったそうです。

その際に燭台ごと切り落としたことから「燭台切光忠」と呼ばれるようになりました。燭台は鉄でできていた説があるので、これが事実であれば鉄の燭台と、小姓の両方を切りおとしたことになります。相当な斬れ味だったことがわかります。

燭台切光忠にまつわる逸話

燭台切光忠は、その刀身の美しさと戦国時代の武将たちとの関わりから、多くの歴史愛好家に称賛されてきました。ここでは、その名刀の来歴を紹介します。

織田信長

織田信長も燭台切光忠を使っていた一人です。光忠の作刀を好んでおり、一説によると二十五腰も集めていたそうです。

豊臣秀吉から伊達政宗へ

信長のあとは、豊臣秀吉が使っていました。1596年、秀吉は伏見城を築いていました。その際に、お城づくりを手伝っていたのが伊達政宗です。そのお礼として、燭台切光忠を下賜したとされています。また諸説ありますが、秀吉から持ち逃げしたという話もあります。どちらが本当なのかはハッキリしていません。

水戸徳川家

江戸後期、燭台切光忠をこよなく愛していた政宗に対して、徳川頼房がうらやましく思い強引に奪ったといわれています。織田信長から始まり豊臣秀吉、伊達政宗、さらには徳川家にまで受け継がれました。

焼失したとされていた奇跡の刀剣

関東大震災が原因で「焼失した」とされていました。ゲームをキッカケに90年ぶりに発見されますが、その際のエピソードをご紹介していきます。

関東大震災によって焼失していた

1923年、関東大震災によって焼失しました。火災が原因で、160余口の刀剣がまる焦げなったそうです。関東大震災は、死者・行方不明者10万人以上といわれ、明治以降最大級の震災です。神奈川県や東京都を中心に、茨木県、千葉県など広範囲での被害になりました。

90年の時を経て発見

2015年、約90年の時を経て徳川ミュージアムで発見されます。刀剣をキャラクター化したゲームの反響により、再調査されたからです。所蔵されていると噂されていた徳川ミュージアムに、ファンからの問い合わせが殺到。過去の記録などを照合し、詳細な調査を行うことになりました。

その結果、燭台切光忠を所持していることが判明しました。2015年、1日限定で展示したところ大盛況になりました。当初は全2回の開催予定でしたが、全国から300件近い応募があったため5回に増えたそうです。震災にともなう影響で、鎺(はばき)が溶けるなど損傷は激しかったのですが、無事に刀剣登録ができました。

まとめ

本記事では、長船光忠がつくった燭台切光忠について解説してきました。小姓と一緒に燭台ごと真っ二つにしたという逸話が名前の由来です。また伊達政宗や織田信長がこよなく愛していた日本刀として有名です。名だたる戦国武将が燭台切光忠とともに時代をつくってきました。関東大震災により90年もの間「焼失」となっていましたが、再発見後、さらなる人気を見せています。

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