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公開日:2024/06/23  

一期一振とはどんな刀剣?「粟田口吉光」唯一の太刀について解説!

一期一振とはどんな刀剣?
現在は御物として宮内庁で管理されている刀剣のひとつに一期一振があります。鎌倉時代中期に京の名工粟田口吉光が、生涯に一振りしか作らなかったともいわれる人気の名刀です。そこでこの記事では一期一振とはどんな刀剣なのか、制作者、歴代の持ち主たちについて解説していきます。少しでも興味のある方はぜひ最後までお読みください。

一期一振とは

一期一振は鎌倉時代中期に粟田口吉光により制作されたとされる刀剣です。吉光は30歳を過ぎてから、粟田口派の粟田口国吉の下で刀工の技術を学びました。現在の京都にあたる山城国粟田口を拠点に活動していた粟田口派は、地鉄の精緻さにおいて日本で全時代を含め最高峰の流派とされています。そんな名工の多い粟田口派のなかでも、とくに吉光は妙手として知られていて、政宗、郷義弘とともに天下三作として称されました。

また吉光は藤四郎という通称で世間に知られており、一期一振のほかにも薬研藤四郎や厚藤四郎、後藤藤四郎などの刀が有名です。国宝や重要文化財に指定されている名刀を数多く制作しています。

この一期一振という名称は、吉光が短刀を得意としており太刀は生涯この一刀しか鍛えなかったから、または一生のうちで最高の傑作もしくは注力した作品であるという意味で名付けられたと考えられています。一期一振の刃長は68.78cmで反りは2.5cm、元幅3.1cm、先幅2.3cm、元重0.7cm、先重0.6cm、茎長17.2cm、切先長は3.4cmです。刃部分の長さは2尺2寸8分なのですが、これは小柄な豊臣秀吉が自分の体格に合わせて磨り上げたとされる説があります。

また、大坂夏の陣で焼身したので徳川家康がお抱え鍛冶であった越前康継に焼き直しを命じた際に、2尺8寸3分(約86cm)あったものを5寸(16.6cm)ほど擦り上げされて現在の形になったという説も有力です。一期一振は徳川吉宗の命により作られた、日本刀の名刀一覧である享保名物帳に記載されている名物でもあります。

一期一振の歴代の持ち主たち

一期一振の歴代持ち主についてですが、豊臣秀吉の手に渡る前の来歴には朝倉家、堺、毛利家からと3つの説があります。

朝倉家説は戦国期に越前の朝倉家が重宝していたからということですが、それ以上は不明となっています。堺説は本阿弥祐徳が銀30枚で堺から購入したものを、秀吉が金10枚で取り上げたとされる説です。その金のなかには釈迦の像が鋳つぶされずに混じっていたため、京都の仏光寺に寄進したとされています。毛利家説は天正18年(1590年)に秀吉が毛利邸に臨んだ際に目に留まり、しつこく所望したため、やむなく毛利元就が献上したという説です。そのとき拵えの金具は赤銅で、紋は総桐だったといわれています。

秀吉は一期一振を手に入れたあと、目貫と笄を後藤祐乗が作成した物に取り換えて刀蔵の一之箱に収めて秘蔵しました。秀吉は所有した名刀を一之箱から七之箱に分けていましたが、その筆頭の一之箱に収められしかも2番目に記載していることから非常に重宝していたことがうかがえます。

その後、秀吉から豊臣秀頼に受け継がれたのですが、大坂夏の陣で焼失してしまいます。大坂夏の陣に勝利した徳川家康は焼身した名刀を惜しんで、初代越前康継に命じ再刃させ徳川将軍家が所有することになりました。家康が亡くなったあとは、形見分けとして尾張徳川家に譲られることになります。その後、文久3年(1863年)1月29日に、尾張藩15代藩主である権大納言徳川茂徳から孝明天皇へと献上されました。それ以降は御物として扱われ、歴代の天皇が相続しています。

現在は御物のひとつに数えられている

現在一期一振は御物として宮内庁侍従職に管理されています。御物とは皇室にゆかりが深く私有品として伝来してきた、美術品や古文書などの所蔵品を指します。御物は宮内庁の管轄なので、文化庁の指定区分である国宝などの対象にはなりません。御物のなかには刀剣も多く含まれているのですが、それは大名などから献上されてきただけでなく、明治天皇をはじめ愛刀家の天皇が名刀を収集していたからです。

いわゆる御由緒物として扱われる刀剣の多くは、宮中祭祀などで役割を担っています。一期一振も1909年に侯爵伊藤博邦から献上された太刀とともに、毎年10月17日に実施される神嘗祭の際に使用されています。また上皇明仁の相続の際に、御由緒物として相続税の非課税財産として整理されました。現在は宮内庁の山里御文庫・御剣庫蔵に所蔵されています。

まとめ

以上、一期一振はどんな刀剣なのかや制作者、歴代の持ち主、現在の状況について解説してきました。一期一振は天下三作と称される名工、粟田口吉光により制作された刀剣です。数多くの名刀を制作した吉光ですが、太刀は一生でこの一刀しか作らなかった、もしくは生涯最高傑作という意味でこの名が付けられたとされています。鎌倉時代から、さまざまな持ち主の手を渡ってきましたが、とくに秀吉にはお気に入りの名刀として重宝されたようです。現在は皇室の所有物である御物として宮内庁で管理され、宮中祭祀などでも使用されています。深い歴史があり多くの人に愛された一期一振、人気の名刀といわれるだけのことはあるのではないでしょうか。

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