物の価値は原材料費やコストなどを考慮して決定されます。そこに美術的価値や個人の興味の強さが付加価値になって値段を変化させます。日本刀は武具であるのは間違いありませんが、その美しさから美術品という位置付けになっています。このような美術品の価値は長い歴史の中で一定の基準ができていて、現在では買取価格に基準が存在しています。
日本刀の値段の付け方はどうなっているのか
日本刀は形式的には美術品や工芸品になっていますが、コレクターアイテムでもあるので人気というのが存在しています。以前であれば世界的に人気が高い時期もあり、その頃には高値で取引されていましたが、現在は以前ほどの人気がないので値段は全体的に低下しています。
その中でも高値が付くのはネームバリューであり、有名な刀工によって制作されたものは今でも人気があり、その値段も買い取る側がその価値に見合う金額を提示していました。特に有名なものには破格の金額が付くこともありますが、そのような刀剣はほとんど市場には出回らないので、市場に出るのはそれ以外となります。
現在でも日本刀は刀工によって作られていて、このような近年に製造された場合には誰が作ったかということも重要ですが、その長さと構造で値段が決められます。基本的な一尺五寸の長さの場合、構造が多く出回っているもので出来栄えが並み程度であり、保存刀剣鑑定書が付けられたものであれば販売価格は20万円程度になっています。
買取は状態が良いという条件が付きますが、販売価格の七割程度というのが基本になっていますが、欠けなど状態が悪いと値段は大きく下がってしまいます。誰もが欲しがる有名刀工のものであれば多少の状態の悪さは緩和されますが、そうでなければ致命的な価格低下を招いてしまうでしょう。
刀剣は維持管理を怠るとすぐに状態が悪くなってしまい、刃先に曇りのような光沢を鈍らせる状態は深刻な問題になってしまいます。高い価格で買い取ってもらいたいのであれば、購入したい人が欲しがるような状態を維持することが大切です。
日本刀の出来栄えが均一にならない理由
日本刀は世界的に見ても珍しい砂鉄を熱して玉鋼にした状態のものを使っていて、これが強度と刃先の美しさの理由になっています。玉鋼は鉄と比較しても粘度が高くなっていて、熱した状態で打ち込むことで不純物が抜けて成分が均一になり、輝くような光沢を得ることができます。
そのため玉鋼を打ち込む方法によってその出来栄えは大きく変化してしまい、刀工にも有名な人とそうでない人が出てしまうことに繋がります。この打ち込むは現在では大部分を機械によっておこないますが、仕上げは昔のままの刀工が専用工具を使っても手作業が中心です。
ここで成分が均一にならなければ見栄えが悪くなり、刃先を仕上げる際にも悪影響を与えてしまうのは仕方がないと言えるでしょう。日本刀は複数の層が折り重なってできているものであり、それを上手に作り上げなければ人が欲しがる刀剣は作れません。
刀剣に対する見識や経験がなければ、それほど細かなところまで見ることはないでしょうが、コレクターの多くは目が肥えた玄人です。このような人を納得させるには高度な技術が必要になり、歴史的価値がない近世で作られた場合には、この出来栄えが値段を決める基本になっています。高い値段が付けられるほどのものを作るには長い経験が必要ですが、それ以上に本人の素質が大きく関係しています。
買取価格はこれからどうなっていくのか
買取価格は平成24年が最大の底値だと言われていて、現在は緩やかな上昇を続けながら推移しているという状態です。海外でのブームがあった頃は出来栄えが良ければ相当な高値でも購入者がいましたが、新規の顧客が減ったことで流通量も少なくなっています。
特別保存刀剣鑑定書が付けられれば現在でも40万円程度で取り引きされていますが、このような質の高いものができることは多くはありません。刀剣は同じ人間が何度も購入することは多くなく、法律の規定で所持するためには一定の手続きが必要になることもあり、新たな購入者がでにくいというのが実情です。
以前のように値段が高くなることは難しくなっていますが、需要と供給の関係で人気が高くなれば価格が上昇するのが市場原理です。現在の日本では時代劇を見る機会が少なく、若年層を中心に刀剣に対する意識が低くなっているのは間違いありません。それよりも海外のコレクターが増える方が値段を高くすることに寄与していて、日本文化が再認識されて興味を持つ人が増えれば値段も変化していくでしょう。
刀剣は実物を見たことがなかったり、知識が少なくよく知らない人でも、見ればその美しさに魅力を感じてしまうのは万国共通だと言えます。それは人間が持つ美意識に働きかけているからであり、絵画などの美術品に対して生じる感情と同じです。
日本について世界に紹介する場合にわかりやすいのが武士であり、その象徴が日本刀であるのは間違いありません。単なる投機として見ていなければ本当の価値を知ることができるので、これからも廃れることがない日本の文化として残っていくでしょう。