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公開日:2023/10/15  

新撰組屈指の剣豪!三番隊組長を務めた斎藤一が所有していた刀剣とは

斎藤一が所有していた刀剣

「誠」の文字を背負い、薄い藍色のだんだら模様の法被を着た維新の英雄、新選組ですが、斎藤一は、そのなかでも屈指の剣豪でした。彼が所有した愛刀とはどのようなものか気になりませんか?この記事では斎藤一と、彼の愛刀について紹介いたします。ぜひ最後まで、お読みください。

新選組三番隊組長「斎藤一」とは

漫画「るろうに剣心」で牙突の斎藤一は有名です。くわえタバコで剣を振るう姿が人気の隊士で、実写版ではあの大物俳優の江口洋介が演じられていましたね。そこで気になるのは「実在するのか」「どんな人物で何をしたのか」ではないでしょうか?

ここでは新選組の三番隊組長、斎藤一の生涯と新選組について解説いたします。では一緒に見ていきましょう。

斎藤一の一生とは

天保15年1月1日に明石藩足軽の子としてこの世に性をうけてから大正4年9月28日に生涯をとじるまでを簡単に紹介いたします。剣術では溝口一刀流と聖徳太子流の剣術を体得した剣客で若い頃に些細なことでもめごとを起こし、その相手(旗本)を斬りすてたことがきっかけで京都に逃げてきたとされています。

その後、文久3年3月に二十歳で新選組に加入しています。新選組での戦いを終えたあとは藤田五郎という名で警視庁に入り、さらに晩年には学校の守衛や庶務などを経験したとされています。

斎藤一と新選組の関係とは

歴史好き以外でも「新選組」の名をしらないものはいないのではないでしょうか。新選組とは結成当初、壬生浪士組という名で活動しており、その後新選組と名をあらため近藤勇や沖田総司など名だたる剣客がそろった尊王攘夷を掲げる治安維持部隊のことを指します。

これまでにも数々のドラマや漫画などにも登場し、現代でも人気はまったくといっていいほど衰えていません。そのなかでも斎藤一は剣客としての腕前はトップレベルで永倉新八、沖田総司らと肩をならべるほどの強者で剣術師範を経験し、三番隊組長を務めるほどの人物でした。

斎藤一が所有していた愛刀「鬼神丸国重」

剣豪ぞろいの新選組でもトップレベルの剣の腕を持つ斎藤一が愛用した刀「鬼神丸国重」とは一体どんな刀なのでしょうか。この項目では愛刀「鬼神丸国重」についてと「鬼神丸国重」がどこで見られるかについて、順番に紹介いたします。

愛刀「鬼神丸国重」とは

斎藤一が愛した刀「鬼神丸国重」は江戸時代の刀工である池田鬼神丸国重の業物で、天和2年9月に作刀され、長さは2尺3寸1分とされています。無敵の剣士として名を轟かせた斎藤一がどのようにこの刀剣を入手したか定かではありません。

愛刀「鬼神丸国重」はどこで見られる

鬼神丸国重は実在していないため、見ることはできません。しかし同じ刀工が作刀したもの以下の2つ

・岡山県 倉敷刀剣美術館

・函館市 土方歳三函館記念館

で展示されているので興味がある方はうかがって見てはいかがでしょうか。「鬼神丸国重」にかぎらず、さまざまな歴史上有名な刀のレプリカも存在しますので、手に取ってみるのもいいでしょう。

斎藤一にまつわる愛刀のエピソード

斎藤一は、維新前後には鳥羽伏見会津戦争、また維新後には西南戦争に参戦しました。ここでは、斎藤一の愛刀「鬼神丸国重」のエピソードと、もう一つの愛刀について紹介していきます。

斎藤一と「鬼神丸国重」のエピソードとは

斎藤一と「鬼神丸国重」には、気になるエピソードが存在します。京都壬生の刀研磨士の源龍斉俊永が残したメモによると天和2年に作刀され、のちに起きる池田谷事件で活躍したのではないかといわれています。

しかしその一方では、そのメモの信憑性を疑う声も少なからず存在し、斎藤一の愛刀は「鬼神丸国重」ではないのではともいわれているのも事実です。

なぜなら、新選組局長でもある近藤勇が池田屋事件がおきるまえに「剣は大坂者は決して御用いなさるまじく候」と記した手紙を佐藤彦五郎に宛てたとされているからです。

また大坂者の刀は実用性より、装飾性に注力している特徴があると同時に、刀の焼きが強く折れやすい傾向があるとされていました。その内容からもわかるように実戦が予想される池田屋事件で、大坂者の刀剣が使用される可能性は低いと考えられており、この内容こそが斎藤一の愛刀が「鬼神丸国重」ではなっかたというエピソードにされる理由なのです。

それ以外にも藤田五郎の名で、警視庁に入っていた際にも愛刀だけを所持している抜刀隊に参加していたこともあり、所持していた刀もこの「鬼神丸国重」ではないかと推測されています。

斎藤一もうひとつの愛刀「関孫六」

斎藤一のもうひとつの愛刀とされているのが「関孫六」です。室町後期の美濃国の関の刀匠が作刀したとされ、最上大業物四工のひとつです。

明治中期に人気の講談師、松林伯知が生み出した「新選組十勇士伝」の一文で『斎藤一においては関孫六の刀を引き抜き、エイとばかりに斬り落とした』という内容が記してあったことから、斎藤一のもう一つの愛刀だと考えられています。

真偽のほどは分かりませんが、松林伯知は新選組の生き残りである、永倉新八や島田魁などに取材したとされ、信憑性が高いといえるでしょう。

まとめ

明治維新の悲運のヒーロー、新選組。そのなかでも指折りの剣客斎藤一の生涯や彼が愛した刀剣について解説してきました。今から200年ほどまえに実在した維新志士たちの思いや葛藤、戦いなどは今でもみんなの心を鷲掴みにしているのではないでしょうか。

その時代に思いを馳せ、もう一度勉強し直すのもいいですね。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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