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公開日:2022/12/01  

有名な戦国武将はどんな刀を持っていた?丹羽長秀の愛刀をご紹介!


歴史に名を残す有名な戦国武将は、その名にふさわしい名刀を携えて戦乱の世を闊歩していました。そんな戦国武将の1人、丹羽長秀をご存じでしょうか。丹羽長秀は織田信長の重心として長く使えた人物で、素晴らしい愛刀をお持ちでした。丹羽長秀がどんな人物だったのか、愛刀と合わせてご紹介します。

丹羽長秀とは

丹羽長秀は1535年に、尾張国春日井郡児玉(現在の愛知県名古屋市西区)に生まれました。16歳のときに小姓として織田信長に使えることになり、その誠実さから織田信長より、共であり兄弟であると表されるほどの寵愛を受け続けた人物です。

家紋は丹羽直違紋(にわすじかいもん)と呼ばれるもので、2本の直線を交差させたような、縦に長い形の特徴的なをしています。この家紋は丹羽長秀が合戦で使った刀を吹いたところ、血の跡が直違のような×印になっていたこと、元々16枚の短冊を竹につけていた馬印が、合戦後には×のように2枚残っていたことなどが由来になっている説があります。そんな丹羽長秀のエピソードの中でも印象的なのが、鬼五郎左と呼ばれる働きです。

1565年に織田信長が行った足利義昭の上洛作戦において、丹羽長秀は3,000の兵を率い、1日にして城を陥落。鬼にも勝る戦いぶりであったことから、鬼五郎左というあだ名が付けられました。戦闘においてはとくに、丹羽長秀は織田信長とは米のように何でもあって欠かせない人物として、織田家になくてはならない存在でした。公私ともに生涯に渡って織田信長を支え、織田信長家における重要人物であり続けたのが丹羽長秀です。

丹羽長秀の愛刀

そんな丹羽長秀の愛刀の中でも有名なのが、にっかり青江(あおえ)です。こちらは大脇差、大磨上無銘、元は2尺5寸の太刀として使われていましたが、後に2尺へと磨りあげられ、最終的には磨上長1尺9寸9分となりました。この刀はその昔、領内に化け物が出るという噂を耳にした武人が現地へ赴いた際、夜中にもかかわらず子どもを抱いた怪しい女が立っている所に出会い「武家様に抱いて欲しい」と懇願され、子どもが近寄って来たためそれを切り捨て、さらににっかりと笑う女の幽霊を切り捨てたところ、翌朝その場所を確認したら石灯籠が真っ二つになっていたという伝説があることから名付けられたとされています。いわゆる曰く付きと呼ばれるにふさわしい刀ではありますが、元は柴田勝敏が帯刀していたものを、賤ヶ岳の戦いで丹羽長秀に捕縛され処刑された後に、そのまま丹羽長秀が会得しています。その後豊臣秀吉に献上され、現在に渡り名刀として愛され続けています。

また愛刀の中でも有名な刀に、鉋切長光(かんなぎりながみつ)という刀があります。こちらは1尺9寸5分の小太刀で、1570年に織田信長から丹羽長秀に対して周光茶わんが召し上げられ、その代物として与えられた腰物です。敬愛する織田信長から与えられたものということもあり、生涯に渡り大切に利用されていましたが、その後経緯や時期は不明ですが、蒲生氏郷へと渡り保管され続け、孫の蒲生忠郷から徳川家光に献上された歴史があります。

もう1本愛刀として有名なのが、楠左文字(くすのきさもんじ)です。7寸3分の短刀で今までの物とは大分毛色が異なりますが、現存していないのか来歴が不明瞭な部分が多く、信長の右筆である楠長庵が所持していたことにちなんで名付けられたとされています。秀吉の時代に家康に送られた歴史が残っており、その前は丹羽長秀が所持していたことから、織田信長より何らかの形で丹羽長秀が受け継いだと考えられている、少し謎めいた刀です。

丹羽長秀の愛刀の現在

丹羽長秀の愛刀だったにっかり青江はその後紆余曲折あり、丸亀藩主である京極家へと映り渡ることになりました。秀頼から拝領した愛刀は死ぬまで大切に秘蔵され、現在は丸亀市立資料館に所蔵されています。また鉋切長光に関しては、現在は水戸徳川家ゆかりの公益財団法人徳川ミュージアムにて、重要文化財として所蔵されています。楠左文字に関しては名前だけは知られているものの現存するのかが不明瞭な点が多く、前2本の刀とは違い見られる場所はありません。しかしにっかり青江と鉋切長光に関しては、現地まで赴けば見ることができるため、丹羽長秀の愛刀を直接見てみたい方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

まとめ

丹羽長秀は織田信長が信頼する部下の中でも、公私ともに信長を支え続け、織田家の重要人物の1人として生涯を歩みました。戦闘においてはとくにその才能を発揮していたことから、さまざまな刀を所持していたことでも知られています。中でも有名な愛刀現在も重要文化財としてミュージアムなどに保管されているため、興味がある方はぜひ現地に足を運んでみてはいかがでしょうか。日本刀は辿ると歴史が非常に深く、その人物と照らし合わせてチェックするとより一層戦国の世に思いを馳せられます。

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