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公開日:2025/05/23  

愛知県の指定文化財刀剣、「あざ丸」とは?

愛知県の指定文化財刀剣、「あざ丸」とは
あざ丸は、平安時代末から鎌倉時代初期に製作されたとされる日本刀で、現在は脇差として知られています。刀長54.7cmで無銘の大磨上(おおすりあげ)刀剣であり、製作者については古備前派の名工・助平(すけひら)または包平(かねひら)の作とする説があります。

概要

あざ丸(あざまる)は、愛知県の指定文化財に指定されている極めて貴重な刀剣のひとつで、平安時代末期に製作されたと考えられています。鍛刀者は定かではありませんが、作風から大和伝または古備前派の流れを汲むと推定されています。現存する日本刀の中でも最古級に属し、優れた保存状態を保っている点も高く評価されています。かつては平家に伝わった名刀とされ、源平争乱の時代背景とも深く関わりがあると伝承されています。現在は東京国立博物館に所蔵され、一般公開されることもあるため、刀剣ファンや歴史愛好家にとっては必見の逸品です。日本刀の歴史的変遷を知るうえで、あざ丸は学術的にも極めて重要な存在といえるでしょう。

名前の由来

あざ丸という名前の由来については諸説ありますが、最も有力なのは刀身の一部にあった「」のような斑点に由来するとする説です。この痣のような模様は、鍛錬時に生じた地鉄の肌合いによるもので、傷ではなく意図的な造形ともいわれています。また、平家の武将がこの刀剣を所持していた際、その痣が不吉な兆しと受け取られた逸話も残っており、のちに源氏に渡る際には験担ぎの意味で「痣丸」と名付けられたとも伝わります。このように、名前には見た目だけでなく、当時の人々の精神性や文化観も反映されています。日本刀に付けられる名は、見た目の特徴や歴史的背景を色濃く映すものであり、痣丸もまたその代表例といえるでしょう。

作風

あざ丸の作風は、穏やかな湾れ(のたれ)を基調とした刃文に、しっとりとした地鉄の美しさが際立ちます。地鉄には板目肌がよく詰み、細やかな地景が現れており、古刀らしい風格が感じられます。また、匂口は柔らかく、刃中には小足や葉が入り、変化に富んだ景色を構成しています。刀身の反りは浅めで、時代的に見ても平安末期から鎌倉初期への過渡的な体配を示しています。鍛錬技術の粋を極めたともいえる造りで、日本刀の美術品としての価値を存分に示す一振といえます。実戦での使用よりも、格式ある献上刀や儀礼用としての側面が強く、日本刀が武器から美術工芸品へと昇華していく過程を示す、極めて貴重な刀剣です。
刀長54.7cmで無銘の大磨上刀剣であり、もともとは平氏の武将・平景清が所持し、熱田神宮に奉納されたと伝わります。景清は「悪七兵衛」とも呼ばれ、謡曲『大仏供養』や歌舞伎『二人景清』『解脱』などの作品で刀剣・あざ丸とともに登場します。

妖刀として

景清は平氏滅亡後、源氏の台頭に耐えかね自らの両目をえぐったとされ、その目が祀られた生目神社は今も「目の神様」として信仰を集めています。景清が奉納したあざ丸は後に千秋季光の手に渡り、加納口の戦いで彼が討死した際にも佩刀されていました。その後、陰山掃部助もあざ丸を佩き出陣しますが、両目を矢で射られるという悲劇に見舞われます。さらに、織田信長の家臣・丹羽長秀があざ丸を所有した際も眼病に悩まされ、熱田神宮に再奉納したことで快癒したと伝わります。こうした歴代の所有者に目の不運が続いたため、あざ丸は“目を呪う妖刀”として刀剣史に名を残しています。

まとめ

あざ丸は、日本刀の歴史を語るうえで欠かせない刀剣のひとつです。その名に秘められた由来や、平安時代末期の高い鍛刀技術を今に伝える作風は、見る者に深い感動を与えます。あざ丸は単なる武具にとどまらず、美術的価値や精神文化を併せ持つ「日本刀の真髄」といえる存在です。現代の刀剣ファンや研究者にとって、あざ丸は日本刀の起源と発展を象徴する作品ともなっており、今後も歴史的・文化的意義は高まるばかりです。

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