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公開日:2025/04/04  

刀工・粟田口吉光の傑作「白山吉光」とは?

粟田口吉光の傑作「白山吉光」とは
白山吉光(はくさんよしみつ)は、鎌倉時代に活躍した刀工・粟田口吉光が作った刀で、国宝に指定されています。現在は石川県白山市の白山比咩神社が所蔵しています。

概要

白山吉光は、鎌倉時代の刀工・藤四郎吉光によって作られた日本刀です。吉光は京都粟田口派の名工で、特に短刀や剣の作刀に優れていました。本作は現存する剣が少ない吉光作の中でも、洗練された姿と優れた地鉄を誇ります。1633年、徳川家光の養女・大姫が、加賀藩主・前田光高に嫁ぐ際に持参し、1657年には4代藩主・前田綱紀が白山比咩神社に奉納しました。現在でも歴史的価値が高く、日本刀の美と伝統を伝える貴重な刀剣です。

作風

白山吉光は両鎬造りの小振りな日本刀で、刃長22.9cm、元幅2.2cmの端正な姿を持ちます。茎(なかご)は生ぶ(うぶ)で、浅い勝手下がりの鑢目(やすりめ)が施され、目釘(めくぎ)下には銘が刻まれています。両刃造りで、頭が張らず平肉が豊かに整えられた美しい形状が特徴です。
地鉄は小板目(板のような模様)が詰み、細かい地沸(じにえ)が全体に施され、地景(じけい)が入り、輝きのある精緻な仕上がりを見せています。刃文は直刃で、小足がよく入り、匂が深く小沸がつくなど、繊細な作風が際立ちます。さらに刃縁には二重刃の要素が見られ、独特の風合いが魅力です。
全体的に整った姿と冴えた地刃の美しさから、短刀よりも一段と沸が強く、藤四郎吉光作の日本刀の中でも特に優れた刀剣と評されています。

歴史

本作の日本刀は、徳川家光の養女・阿智子(清泰院)が、加賀藩3代藩主・前田光高に嫁ぐ際に持参した刀剣です。元々は徳川将軍家または水戸徳川家が所蔵していたと考えられています。清泰院は寛永20年(1643年)に長男・綱紀を出産し、光高は金沢から江戸まで通常12日かかる道のりを7日で急行して駆けつけたと伝えられます。しかし光高は1645年、茶会の席で急死しました。
その後、清泰院も明暦2年(1656年)に30歳で亡くなり、翌1657年に子の綱紀が母の冥福を祈って白山比咩神社へこの日本刀を奉納しました。加賀の金工・水野家の記録によると、1803年には「白山吉光」の包紙が残されており、その時点で拭いが施されていたことが確認されています。

まとめ

白山吉光は、鎌倉時代の刀工・藤四郎吉光によって作られた日本刀で、現在は石川県白山市の白山比咩神社に奉納されています。吉光は粟田口派の名工として知られ、特に短刀や剣の作刀に優れた技術を持っていました。本作は両鎬造りの小振りな刀剣で、刃長22.9cm、元幅2.2cmと端正な姿を持ち、地鉄には小板目が詰み、細やかな地沸や地景が入り、匂深く冴えた刃文が美しく表現されています。歴史として、徳川家光の養女・阿智子(清泰院)が加賀藩主・前田光高に嫁いだ際に持参したとされ、1657年にその子・綱紀が母の冥福を祈り白山比咩神社に奉納しました。現在でも、日本刀の美と歴史を体現する名品として知られています。

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