二刀流の歴史や流派について詳しく知っていますか。この記事では、二刀流の基礎知識をわかりやすく解説します。二刀流の歴史を学べば、日本刀の楽しみ方もきっと広がりますよ。剣法について学びたい人はもちろん、日本刀に興味のある人もぜひご一読ください。
日本の二刀流の歴史
二刀流の開祖というと、宮本武蔵を思い浮かべる人も多いでしょうか。しかし、実は、日本の二刀流の歴史は武蔵の生まれる200年ほど前にはじまったといわれています。堀正平による「大日本剣道史」には、京流・寶山流(ほうさんりゅう)・新陰流(しんかげりゅう)の流派において二刀の形が存在していたことが記されているのです。吉田精顕著の「二刀流を語る」によると、寶山流は1370~1380年ごろに確立されて上下太刀の術をあみ出しています。
その後、宮本武蔵が、父の新免無二(しんめんむに)による二刀当理流を進化させ、二天一流を構築しました。二天一流では、右手に大太刀、左手に小太刀をもって戦うスタイルです。宮本武蔵はこの二天一流を「五輪書」に記し、「五輪書」は今や剣術書やメンタルトレーニングの指南書として世界中で読まれています。
そして、武蔵以後には心形刀流や二天流、未来知新流などの数多くの流派で二刀剣法が取り入れられ、極められることになりました。現代では、1992年の全日本剣道連盟のルール改正によって大学剣道での二刀流が認められ、大会でも二刀流の選手が見られることがあります。
日本で有名な二刀流の流派
ここからは、日本で有名な二刀流の流派を4つに分けてご紹介します。
二刀流の流派(1)寶山流
寶山流は前述したように、宮本武蔵以前の生まれる200年ほど前から二刀剣法を取り入れていた流派です。大刀を上段、小刀を中段に構える上下太刀の術が、關上十一手という秘伝に記載されています。この上下太刀の術は、現代剣道にも通じていると考えられていますよ。
二刀流の流派(2)心形刀流
心形刀流とは、伊庭是水軒秀明が開祖の流派です。江戸時代初期の1682年に立ち上げられ、江戸四大道場のひとつとして人気を博していました。二刀の形には向満字・横満字・横満字殘・刀合切・相捲・清眼破・柳雪刀・鷹の羽などあり、多様でした。また、心形刀流には、短剣を相手に投げつけ、相手がひるんだ間に長剣で相手を刺す剣法もあります。この剣法は、三心刀と呼ばれ、未来知新流や寶山流にも見られます。
二刀流の流派(3)柳生心眼流
柳生心眼流とは、竹永隼人が立ち上げた仙台発祥流派です。現在も宮城県北部を中心に伝えられています。柳生心眼流では、2振の小太刀を操る二刀小太刀術(にとうこだちじゅつ)や、太刀と鞘を使う二刀術などの日本の剣法にはなかなか見られない形が残っています。剣術以外にも、槍術・体術・棒術・薙刀術なども行われます。
二刀流の流派(4)そのほか
宮本武蔵以後の二刀流は、武蔵による二天一流に影響を受けたものが多いようです。たとえば、二天一流の末流には二天流・圓明流・鐡人流・温故知新流・今枝流などがあります。
日本刀と密接なつながりを持つ二刀流
ここまで、日本における日本刀の歴史や流派をご紹介しました。しかし、実は海外でも二刀剣法が存在していたことをご存知でしょうか。
たとえば、中国やヨーロッパの双剣術です。中国では、素早い連撃が特徴といわれ、左右どちらの剣も攻撃と防御の役割を果たします。また、ヨーロッパでは、レイピアやマンゴーシュを用いて、フェンシングのように相手を突くのが特徴です。中国の双剣術とは異なり、片手は攻撃、もう一方の手は防御を担うとされています。
このように、二刀剣法は世界中でそれぞれの地域で生み出された武器や戦い方が極められて生まれたと考えられるでしょう。日本の二刀流も同様に、日本で生み出された刀である日本刀と密接なつながりを持っているのです。今後、日本刀を見るときに、その武器を用いてどのように戦ったのか、どのような流派がどんな構えで用いていたのかを想像してみてください。二刀流の歴史を学ぶことで、日本刀を鑑賞する際の楽しみの幅もぐんと広がるでしょう。
まとめ
二刀流は、かの有名な宮本武蔵による二天一流や、寶山流、心形刀流などのいくつかの流派で育まれてきました。二天一流では右手に大太刀を左手に小太刀をもつスタイル、寶山流では大刀を上段、小刀を中段に構える上下太刀の術、心形刀流では短剣を投げて戦う三心刀があるなど、スタイルはさまざまです。また、日本の二刀流は、日本で生み出された武器である日本刀と密接なつながりをもちながら進化し続けきました。今後、日本刀を鑑賞する際には、どのような流派がどんな構えで用いていたのかを想像してみましょう。二刀流の歴史を学べば、日本刀の楽しみ方もきっと広がります。