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公開日:2023/11/01  

新選組で柔術師範頭を務めた四番組組長!松原忠司の愛刀とは

松原忠司の愛刀

「新選組って沖田総司のいる?」「土方歳三や近藤勇は知っているけど松原忠司とは?」この記事を読んでいる方で、このような疑問をもつ方も少なからずいるのではないでしょうか。今回は新選組で、柔術師範をつとめた松原忠司について深堀していきます。あわせて松原忠司の愛刀についても触れていきます。ぜひ参考にしてください。

新選組四番組組長「松原忠司」とは

新選組四番隊組長「松原忠司」とはどのような人物なのか、解説します。

松原忠司とは

松原忠司とは、1815年に播磨国小野藩(現代の兵庫県小野市)の藩士の子として生まれ、初名は「小太郎」でした。

船川楫之助柳心流より天神真揚流柔術を学び、大坂で北辰心要流柔術の道場を開きます。

1863年までには、新選組の前身で知られる壬生浪士組に参加しています。理由は諸説ありますが、1865年にこの世を去ったとされています。

松原忠司と新選組

新選組とは、京都の治安維持部隊で、局長「近藤勇」や副長「土方歳三」一番隊組長「沖田総司」などが有名です。

そのなかでの松原忠司の新選組での役割は、四番隊隊長や柔術師範などがあり、総勢200名を超えるとする大所帯のなかでもトップクラスの実力といえます。

松原忠司は見た目とは裏腹に温厚だった

松原忠司は、迫力ある見た目とは裏腹に、人斬り集団といわれた新選組のなかでは、温厚な人物だったようです。

そのエピソードを紹介すると、1863年に起こった八月十八日の政変の際に自分の鎧がないことに腹をたてた山南に対して、松原忠司がなだめたとされています。

さらに壬生界隈では有名で「親切者は山並と松原」という言葉も伝わるほどです。このことからも分かるように松原は、とても温厚な性格であったといえます。

松原忠司の愛刀は「加州住藤島友重」

新選組四番隊組長の松原忠治が使用していた愛刀が気になりますよね。

松原忠司の愛刀は「加州住藤島知重」で、長さは2尺3寸5分の大業物の刀です。

実際、池田屋事件でも使用されており、研刀師に修理にだした際には、はばき元に大きな刃こぼれが4箇所、物打ちに細かいものが19箇所あったとされています。

初代の藤島友重は南北朝時代の鍛冶であり、加州藤島派の代表的な刀工でした。

松原忠司は薙刀も使い「今弁慶」と呼ばれていた

新選組四番隊組長の松原忠治は、大業物の名刀「加州住藤島知重」以外に大薙刀も使用していました。

また柔術の腕も凄かったようで、なぜかあだ名は「今弁慶」でした。一緒に見ていきましょう。

松原忠司が今弁慶と呼ばれた理由とは

新選組四番隊組長の松原忠司はなぜ「今弁慶」と呼ばれていたのか?弁慶とは武蔵坊弁慶のことを指し、源義経に仕えた怪力無双の荒法師で有名な人物です。

弁慶のいでたちは、よくドラマやアニメなどでも取り上げられますが、頭部を白布で覆い、大きな薙刀を腰に差しています。

八月十八日の政変に参加した際の松原忠治のいでたちが、まさに武蔵坊弁慶そのもので、坊主頭に白いハチマキ、大きな薙刀を要していたこともあり「今弁慶」と呼ばれるようのなったのです。

松原忠司は柔術使いで有名

そもそも柔術とは何なのでしょうか。ブラジリアン柔術などは有名で、知っている人もいるのではないでしょうか。

ここでいう柔術とは日本の古武道を代表する徒手武術で、相手を殺さずに捕らえることを目的とした、護身術のことを指します。

松原忠司は船川楫之助から天神真揚流柔術を学びうけ、大坂では、北辰心要流柔術の道場を開くまでになっています。

新選組でも四番隊組長以外に柔術師範でもあり、このことからも柔術の才能は確かであったといえます。

松原忠司の死因は女性問題?

松原忠司の死因は諸説ありますが、女性問題ではないかともいわれています。

心優しい部分が垣間見える松原忠治は、お酒の席で酔いつぶれたことが原因で、口論に発展した相手(浪人)を斬り殺してしまったことがあるのだとか。

酒からさめた松原忠司は、ことの重大さに気がつき、浪人の身元をしらべ、家に遺体を届けたとされています。

その際につらい思いをさせた浪人の妻に気をつかったのか、屯所近くで浪人の妻を囲うようになりました。

その行動を副長の土方歳三に強くとがめられたのが原因で、幹部としての責任を感じ、切腹をしたとされています。

その切腹は失敗に終わったものの、傷口が原因でその後、病気によりこの世を去っています。4番隊組長になってから、約半年後の出来事でした。温厚な性格であることが仇となったのか、とても寂しい最後です。

まとめ

この記事を読むことで、新選組四番隊組長の松原忠司がどのような人物だったのか理解できたのではないでしょうか。「今弁慶」と呼ばれる迫力ある風貌である一方で、心優しい剣客であったことが魅力の隊士です。何を思い、何のために命を賭けてきたのか、松原忠司や他の隊士のことを思うとつらくなりますね。この記事を読んで、松原忠司に関心を持ってもらえたら、幸いです。

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