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公開日:2023/10/15  最終更新日:2023/07/06

新撰組の総長を務めた男!山南敬助はどんな刀を所有していた?

疑問

新撰組は江戸時代末期に活躍した、主として京都の治安を守るために組織された幕府の警察組織です。活動期間はわずか6年間ですが、沖田総司や斎藤一、土方歳三などの剣豪が魅力で、ドラマやゲームなどでたびたび取り上げられ、現在も根強い人気があります。今回はそんな新撰組の総長をつとめた山南敬助について、人物像や愛刀を紹介します。

新選組総長「山南敬助」とは

山南敬助の生い立ちには諸説ありますが、1833年に奥州仙台藩士の家に生まれたとされる人物です。江戸に出て、小野派一刀流に入門・免許皆伝となった後に北辰一刀流の門下生となります。

その後、天然理心流との他流試合において、近藤勇に敗れたことをきっかけに彼の腕前や人柄に惹かれ慕うようになり、以後は近藤勇が所属する道場(試衛館)に出入りするようになりました。

1863年2月には、清河八郎が組織する徳川家茂の警護に近藤勇とともに参加し、のちに清河が攘夷を掲げると、芹沢鴨・近藤勇とともに反対して京都に残り、壬生浪士組を名乗るようになります。

壬生浪士組は会津藩預かりのため、本来は尊王攘夷目的で、結成された組織だったものの不逞浪士の取締りといった仕事が、メインとなります。不逞浪士というのは、時の体制の規範を無視して暴動などを起こす浪人武士のことです。

この不逞浪士の取り締まりにおいて、山南は数々の活躍を見せました。資料として残っているものでは、殿内義雄暗殺、八月十八日の政変、大阪相撲力士との乱闘、芹沢鴨暗殺、岩城升屋事件などが挙げられ、とくに「岩城升屋事件」では、重傷を負いながらも金8両を賜る活躍を見せました。

翌年1864年には、新撰組総長となっています。そんな山南敬助ですが、1865年2月、脱走の罪による切腹でこの世を去っています。脱走・切腹の原因について、確かな資料はありませんが、有力と思われるものは屯所の移転に関わるものです。

当時新撰組の屯所は壬生村にありましたが、隊士の増加により手狭になってしまったため、西本願寺に移転することになりました。この移転先に対して山南は反対を唱えたものの取り合ってもらえなかったため、新撰組との決別の意を固めたという説です。

新撰組において脱走は御法度、もし禁を破れば切腹という厳しいルールがありました。置手紙を残して消息を絶った山南を捕縛したのは、山南が弟のようにかわいがったと言われる沖田総司です。

その沖田総司の介錯により、山南は33年という短い人生に幕を下ろしました。山南敬助は忠義と献身の精神をもった人物で、新撰組の中でも特に忠義心が厚く、幕府への忠義を貫いた人物として知られています。

確かな剣術の腕前をもち、新撰組では近藤勇・土方歳三に次ぐ「総長」の地位にまで昇りつめたものの最終的には新撰組のルールに背いて脱走し、切腹という形で、この世と決別せざるをえなかったのは残念です。

「武人にして文あり」と称され文武両道だった山南敬助は、優しくて温厚な人柄でもあり、女性や子どもをはじめとする、壬生村界隈の人たちから慕われていたと言われています。隊士からも「サンナンさん」という名称で親しまれるなど、残された資料から多くの人に愛され親しまれた人物でした。

山南敬助の愛刀は「摂州住人赤心沖光」

新撰組の名立たる隊士は、それぞれ名高い名刀を所持しています。

たとえば、近藤勇といえば「長曽祢虎徹(ながそねこてつ)」土方歳三は「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」沖田総司は「加州清光(かしゅうきよみつ)」斎藤一は「鬼神丸国重(きじんまるくにしげ)」などが有名です。

これらの名刀は刀工の名前がそのまま用いられることが多く、前述した四振りの刀は、いずれも人名または国名と人名を合わせたものです。

山南敬助が愛用していた刀「摂州住人赤心沖光(せっしゅうじゅうにんせきしんおきみつ)」もその名の通り、摂州の住人である赤心沖光という人物が作成した刀です。

山南敬助の愛刀にまつわるエピソード

山南敬助の愛刀「摂州住人赤心沖光」は、1863年10月に発生した岩城升屋事件の際に折れてしまいました。事件は新撰組の勝利で幕を閉じましたが、激しい切り合いを伴うもので、隊士の剣も相当のダメージを負いました。

その中でも摂州住人赤心沖光が受けた損傷は大きく、血糊が多く付着し、刀身も途中で折れたほどです。近藤勇は幕府に対して新撰組の活躍ぶりを示す物証として、折れてしまった摂州住人赤心沖光を江戸に送っています。

刀名である「赤心」には真心・飾りのない心といった意味があります。自分の信念を裏切ることなく、まっすぐに生きた山南敬助の生きざまを表す言葉とも言えそうです。

まとめ

新撰組の総長をつとめた山南敬助について、彼の略歴や人柄、愛刀について紹介しました。山南敬助は北辰一刀流の免許皆伝者の剣豪です。近藤勇と行動を共にし、新撰組に入隊してからは数々な事件の解決につとめました。

彼の愛刀「摂州住人赤心沖光」は、1863年の岩城升屋事件で折れてしまいましたが、山南は金8両を賜る活躍を見せます。屯所の移転をめぐる問題で近藤・土方と対立したことにより脱走し、法度違反で切腹、享年33歳で短い人生に幕を閉じました。

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