古くから伝わる名刀が、現在も保管されているので気になる人は見に行ってみましょう。現在は、国立博物館に保管されている童子切安綱を紹介します。今回の記事では、概要、歴史とエピソード、著名な所有者、国宝のため価格がつけられないことについて触れていきます。刀剣に興味がある人は、この機会にさらに知識を深めていきましょう。
名刀「童子切安綱」とは
特徴や昨刀した人物についても触れてみましょう。最上級の価値がある刀とは、どういうものなのでしょうか。
最上級の価値を持つ
日本刀のなかで、最上級の価値があるものは何だろうかと考えたことがある人もいるでしょう。素晴らしい名刀として選ばれているだけではなく、そのなかでも、最も古いものとして、最上級の価値があるといわれているのが童子切安綱です。すでに特別な地位を築いているので、伝説の刀剣として認識されています。
特徴
国宝として鑑定されています。刀長は80cmです。源頼家、足利家、豊臣秀吉に伝わり、徳川家康、徳川秀忠が所有したといわれています。
作刀した人物
現在の鳥取県で日本刀を製作した大原安綱が、始祖といわれています。格式高い印象の、日本刀を作るのを得意としていました。現在は、およそ20振しか保存されていませんが、そのうちの1振が国宝、4振が重要文化財に指定されていることから、高い評価を受けた人物として知られています。
童子切安綱は、1951年に国宝として初めて指定され、現在は国立博物館に保管されています。見学を希望する人は、ホームページなどで調べてみましょう。展示会が頻繁に行われています。
童子切安綱の歴史とエピソード
芸術性や強さだけではなく、刀のエピソードも魅力的です。
関連する逸話が面白い
日本刀の特徴を知ることは興味深いですが、それに関連する逸話が、時代を超えて語り継がれているので面白いでしょう。童子切安綱は鬼退治のエピソードが有名です。
鬼を退治した源頼光
平安時代に、鬼たちが人をさらうという噂が広まっていました。源頼光は、鬼たちを退治するために、鬼たちに酒を振る舞いました。酒には毒が仕込まれていたので、鬼たちは身動きが取れません。その首を取ったことから、童子切という名が刀に付けられました。
伊勢神宮に参拝したときに刀を授かる
源頼光の手に刀が渡る前は、坂上田村麻呂が、伊勢神宮に献上していました。源頼光が伊勢神宮に参拝したときに、刀を授かったといわれています。天照大神は、そのあとの源頼光の運命をすでに知っていたのかもしれません。
足利義輝の最期に立ち会う
1565年の永禄の変で、足利義輝は最期を迎えます。実戦の場で使用されていたエピソードは残っていますが、どのように使用されたのか分かっていません。
童子切安綱の著名な所有者
豊臣家が滅んだときに、たくさんの名刀が焼失してしまいました。しかし、幸運なことに現在も保管できています。
豊臣秀吉
刀剣が好きでしたが、童子切安綱は手元に置かずに、本阿弥家に預けていたといわれています。源頼光が、鬼を斬ったというエピソードに、不吉なものを感じていた可能性があります。豊臣家が滅ぶときに、大阪城にはたくさんの名刀が保管されていたので、焼失してしまいました。しかし、童子切安綱は本阿弥家に預けていたので無事でした。
松平家
豊臣家が滅んだあとは、徳川家康と徳川秀忠の手に渡っていました。その後、松平家に保管されるようになりましたが、生まれて間もない子どもが夜泣きを繰り返していたところ、枕元に童子切安綱を置くと、夜泣きが収まったというエピソードも残っています。
国宝のため価格はつけられない
売却されることは考えにくいですが、かなり価値が高いものとして取り扱われるでしょう。
価格は未知数で予想しかできない
現在は国立博物館に保管されているため、売買されることは無いでしょう。価格は未知数なので予想しかできません。
およそ2億7,000万円以上の価値がある
素晴らしい名刀として、惜しくも選ばれなかったものがあります。大包平とよばれる刀ですが、およそ2億7,000万円の価値があるといわれています。つまり、童子切安綱も同じような価格か、それ以上の価格が付けられる可能性があります。いずれにしても売買できないので、想像しかできません。
価値はピンからキリまである
日本刀は、高い価格で取引されるのではないかと期待する人もいますが、価値はピンからキリまであるので、あまり期待し過ぎないほうがよいでしょう。日本刀を専門に扱っている業者に査定を依頼すると、一般の人では分からない傷や汚れなどを簡単に見破れます。
また、類似品か本物か見極めることもできるので、興味のある人は、査定を依頼しましょう。この際、商品だけではなく、鑑定書を持参して、少しでも高値をつけてもらいましょう。そして、セルフメンテナンスを行い、少しでも綺麗な状態で売却しましょう。
まとめ
国宝のため、売却されることは考えにくいですが、かなり高い価値が付けられることは間違いないでしょう。豊臣秀吉が大阪城に保管することなく、本阿弥家に保管していたことから焼失を免れることに成功しました。現在は、国立博物館に保管されているので、鑑賞する機会があれば足を運んでみましょう。歴史やエピソードにも興味を持ってみると、さらに楽しめるでしょう。