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公開日:2025/07/07  

琉球に伝来した国宝指定の刀剣「千代金丸」とは?

琉球王国に伝来した国宝指定の刀剣「千代金丸」とは?
千代金丸(ちよがねまる)は、16世紀に製作されたとされる本土製の日本刀で、琉球国王尚家(しょうけ)に伝来した三振りの宝剣の一つとして、那覇市歴史博物館に所蔵されており、伝承と文化的背景を含めて平成18年に「琉球国王尚家関係資料」の一部として国宝に指定された重要な刀剣です。

概要

千代金丸(ちよがねまる)は、琉球王国の尚家に代々伝わった格式ある刀剣であり、2006年には「琉球国王尚家関係資料」の一部として国宝に指定されました。刀身は16世紀頃に日本本土で制作されたと考えられており、いわゆる無銘の日本刀ですが、平造り庵棟、鋭い先反りという特徴的な姿をしています。特筆すべきは、その(こしらえ)であり、琉球独自の片手用柄金装の鞘、装飾金具には格式と芸術性が見られます。これらは本土の刀剣とは一線を画す意匠で、王族の宝刀としての威厳を伝えています。千代金丸は、武具としての日本刀にとどまらず、外交・祭祀・精神的象徴としての役割も担っていたことから、琉球文化と日本の刀剣文化の融合を象徴する稀有な文化財と言えるでしょう。

名前の由来

「千代金丸」という名称は、その拵えに施されたきらびやかな金装や、王族の所有にふさわしい威厳を反映して付けられたと考えられています。柄頭(つかがしら)や金具には尚家の祖とされる尚泰久王の神号「大世主(うふよぬし)」が刻まれ、刀剣としての神聖性や象徴性を高めています。また、過去の文献には「重金丸」「手金丸」といった異名も見られ、『球陽』などの琉球の歴史書にもその存在が記録されています。これらの名前は、いずれもその格式と王権との結びつきを示すもので、単なる武器ではなく儀礼的価値を持つ日本刀としての地位を物語っています。名前の変遷は、政治的・文化的背景の変化とともに本刀の扱いがいかに特別なものであったかを如実に物語っています。

作風

千代金丸の刀身は、板目肌が流れるように鍛えられ、広直刃小互の目が混ざる刃文が特徴的です。足・葉・金筋といった細かな働きも随所に見られ、日本刀としての完成度は非常に高いものとなっています。形状は平造りで庵棟、やや細身の体配に強い先反りが施され、動きやすさと美しさを兼ね備えています。茎には日本本土製とみられる金具が装着され、琉球式の片手柄と見事に調和しています。拵も特筆すべき点で、漆塗りに金粉を施した鞘、精巧な金具、漆塗装など、武器としての刀剣を超えた芸術作品のような美しさがあります。これは、琉球王国の文化と日本の鍛刀技術が高い次元で融合した結果といえ、日本刀の進化と地域的多様性を示す貴重な作例です。

まとめ

千代金丸は、単なる戦闘用の刀剣としてだけでなく、王家の権威や信仰、文化を体現する日本刀として高く評価されています。現在は那覇市歴史博物館に所蔵されており、一般にも展示されることで、その歴史と美術的価値を広く伝える役割を担っています。この刀剣が持つ意義は、単なる工芸品を超えた精神的・文化的シンボルであり、琉球王国がいかに日本文化と独自の価値観を調和させてきたかを象徴しています。金装の拵や装飾金具の精緻さ、王家の神号が刻まれた意匠など、どれを取っても並外れた完成度を誇ります。千代金丸は、刀剣に込められた美意識と権威、そして東アジア文化の交差点としての琉球王国の歴史を物語る、まさに国宝にふさわしい日本刀といえるでしょう。

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