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公開日:2022/07/15  

江戸時代の武士たちは何をして生きていた?日本刀の活躍する場面とは


「江戸時代の武士たちは何をしていたの?」「江戸時代でも日本刀は使われていたの?」という疑問を持っている方に向けて、江戸時代の武士について紹介します。江戸時代というのは、徳川家康公が300年近くに渡り統治した時代です。江戸時代を生きた武士たちは、果たしてどのような生活を送っていたのでしょうか。

江戸時代は日本刀の出番がほとんどない

江戸時代は徳川家康が築いた時代で「平和」という文字を連想するのではないでしょうか?江戸時代では戦はあったのか、日本刀の出番はあったのか、この見出しでお伝えします。

江戸時代はどんな時代?

徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年から、第15代徳川慶喜が大政奉還をした1867年の265年間のことを江戸時代といいます。江戸時代では戦乱の世が終わり、絵画や浮世絵、文学、農業、学問などが大きく発展しました。ここからは、江戸時代に発展した文化を見ていきましょう。

絵画

江戸時代の絵画では、俵屋宗達による「風神雷神図屛風」や尾形光琳の「紅白梅図屏風」、菱川師宣の「見返り美人図」などが有名です。江戸時代の絵画は、主に浮世絵が多く、庶民の生活や美人画などの人物を中心に書かれているのが特徴です。

文学

江戸時代では主に庶民の文化が発達しました。そのため、文学でも武士や庶民の生活を表現する作品が多く誕生しています。たとえば、井原西鶴の「浮世草子」や近松門左衛門の「人形浄瑠璃」などです。このほかにも、歌舞伎では市川團十郎、俳句では松尾芭蕉などが有名な芸術家としてあげられます。また、第5代徳川綱吉は儒学を積極的に取り入れていたため、儒学者としての林鳳岡(はやしほうこう)も有名です。

学問

また、江戸時代では化政文化の影響で学問も大きく発展しました。江戸時代では西洋医学を取り入れる思想が強まり、西洋の医学を日本独自のものにする動きがみられます。西洋医学に貢献した人といえば、ヨーロッパの解剖書を翻訳した杉田玄白が有名です。また、医学以外にヨーロッパの計測技術を用いて、日本列島を測量し正確な日本地図を作り上げた伊能忠敬や、経済学者として活躍した海保青陵、本田利明などがいます。

武士はなにをしていたの?

江戸時代になってから、武士たちが生業としていた戦が減っていき、武士たちの生活は少しずつ変わっていきました。大名たちは領内をまとめるために、法令や機関の整備を行い、武士たちは大名の補佐や官僚として任命されることが多かったようです。江戸時代の変革によって、武士たちの生活は武から文に移り変わっていったといえるでしょう。次の見出しから、具体的な武士たちの仕事について見ていきます。

江戸時代の武士たちの仕事とは

戦が無くなり、武術を極めなくとも良くなった武士たちは、どのような仕事をしていたのでしょうか。武士の中にも上下関係があり、役職によって違いがあるため、この見出しで詳しく紹介します。

実際あまり仕事がなかった

驚いたことに、江戸時代の武士たちは仕事をあまりしていなかったようです。戦がなくなり、政治などの法令や整備に力をいれた大名たちでしたが、仕事の量と武士の量があっておらず、まともな仕事は3日に1回程度でした。もちろん、大名の補佐である老中や若年寄、大目付などの重役の方々はきちんと仕事をしていましたが、それでも毎日働き詰めというわけではありませんでした。

城内の警備

重役の方々以外の武士たちはある程度の「役職を持っている武士」とそうでない「徒(かち)」とに分けられました。役職を持っている武士は月3~6回ほど城に行き、会議や奉公同士の打ち合わせを行います。城に行かない日は自宅で嘆願書の処理や、善悪の是非などを決める仕事を行っていました。一方、それよりも下級の武士たちは徒(かち)と呼ばれ、3日に1回程度である城内の見張りを行っていました。これだけ見ても、仕事が少ないのが分かりますね。

仕事が少ないことによる生活への影響は?

「こんなに仕事が少ないと生活に支障が出るのでは?」と考えた方もいるでしょう。しかし、江戸時代の武士たちの給料は、大名たちによって保障されていたため、お金には困っていなかったのです。そのため、仕事の無い日は酒場で騒いだり、芸者を連れて遊び歩いたりする武士たちも多かったようです。

有事に備えて学び続ける武士たちが多かった

大名たちは自信の領地を統治するために、政治や組織についての勉強を奨励しました。その影響で、一般の武士たちも文学を勉強する機会が増え、学びを続ける武士たちが増えていきました。江戸時代では徳川の影響もあり、儒学が中心でしたが、ほかにも経書や史書、詩などが教科書として採用されています。

 

今回は、江戸時代の武士たちの暮らしについて解説しました。江戸時代では文学や芸術が著しく発展したため、日本刀を使う場面よりも筆や頭を使う場面のほうが多かったのかもしれません。そのおかげで教育機関が生まれ、今の小学校や中学校があるのでしょう。武士たちは仕事が無く暇をしていたようですが、給料がしっかり支払われていたことから戦が無くても、身分的には高い位を保持していたことが分かります。

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