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公開日:2023/08/15  

有名な戦国武将はどんな刀をもっていた?明智光秀の愛刀をご紹介!

明智光秀の愛刀
戦国時代における有名な武将たちは、どのような刀を所有していたのでしょうか?今回は明智光秀の愛刀に焦点を当て、その由来や関係性についてご紹介します。戦国時代に興味のある歴史愛好家にとって、彼らの生涯や甲冑、書物など由来の品々は非常に興味深いものです。そして、武将が腰に差していた刀剣はまさに貴重なお宝といえるでしょう。

明智光秀とは

戦国時代といえば、頭に浮かぶのは三英傑の名前でしょう。その中でもとくに人気のある戦国武将が織田信長であり、明智光秀といえば彼との関係性が深く知られているのです。明智光秀の生まれた年には諸説があり、1516年や1528年などといわれています。出生地も美濃国や近江国などとされ、さらに父親の名前すら明らかではなく、戦国時代においては多くの謎に包まれた人物です。

彼は織田信長の家臣団で最も出世が早かったことでも知られています。比叡山の焼き討ちで活躍し、近江国滋賀群の坂本城主となり、長篠の戦いや有岡の戦いなどで数々の戦功を挙げました。また、幕府や天皇家、公家などとの関係も深く、高い教養を備え、和歌や茶の湯などを好む一面ももっていました。

明智光秀と織田信長

明智光秀と織田信長の関係は相思相愛とされています。明智光秀は新参者でありながら、柴田勝家や織田信長の秘蔵っ子として知られる羽柴秀吉(豊臣秀吉)など、名だたる大名が所属する信長家臣団の中でもっとも速く城主の地位を得ました。

本能寺の変とは

明智光秀といえば、本能寺の変で有名です。本能寺の変は戦国時代最大のミステリーとされ、時代劇やクイズなどで幅広く取り上げられています。事件は天正10年6月2日(1582年6月21日)の早朝に起こりました。明智光秀は謀反を起こし、織田信長を討つために京都の本能寺を訪れました。

これが「本能寺の変」と呼ばれる事件です。「敵は本能寺にあり」や「ぜひにおよばず」という言葉は非常に有名です。しかしその後、羽柴秀吉によって容易に討たれ、短期間の支配とも称されました。

明智光秀の愛刀

天下統一を目論む織田信長の重臣として、戦国の世に名を馳せた明智光秀。この項目ではその明智光秀の愛刀と、所持していたとされる刀剣を紹介いたします。

明智近景

明智光秀の愛刀として知られるのは「明智近景」です。この刀は備前国の名工である長船近景によって鍛えられたもので、正式な銘は「備前長船近景」となります。刀身には「暦応三年」という文字が刻まれており、ほかの刻印はすべて削り取られているのが特徴です。本来刻まれていたのは「明智光秀」の名と「近景」という銘でした。

しかし、所有者が幕末になってから刻印を削り取った理由は、明智光秀という逆賊の名前を嫌ったためといわれています。備前国は歴史的に多くの名工と名門一派を輩出してきた土地であり、「長船派」や「福岡一文字派」などがその名を轟かせました。

明智兼光

明智兼光は明智光秀が所持していた脇差であり、後に徳川家康の手に渡ります。この刀は備州長船兼光によって作られたもので、刃渡りは約50㎝。茎には秀光の官職である「日向守」という文字が刻印されているのが特徴です。現在では犬山市文化史料館で大切に保管されています。

そのほか明智光秀が所持したとされる刀剣

戦国武将にとって、刀は欠かせない存在です。産地や刀工などは刀剣マニアにとって注目すべきポイントでしょう。こちらでは、明智光秀が所持したとされる刀剣を簡単に紹介します。

・地蔵行平
・倶利伽羅郷(短刀)
・切刃貞宗(脇差)
・太郎坊兼光
・明智兼光(脇差)
・明智近景
・津田近江長光
・青屋長光

明智光秀の愛刀の現在

歴史資料館などを訪れると戦国時代に使用された甲冑や刀、書物などが展示されています。では、明智光秀の愛刀は現在どこに保管されているのでしょうか。

明智近景の行方

明智光秀が所持していた「明智近景」は、後に光秀の子孫である出羽庄内藩の大庄屋日向家に伝わりました。残念ながら幕末には刻印が削り落とされるというできごともありましたが、その後は重要美術品にも指定さたのです。かつては刀剣愛好家で有名な青山孝吉氏が所有していましたが、現在は富山県にある森記念秋水美術館で所蔵されています。

明智光秀は鉄砲も名手でもあった

明智光秀は射撃の腕前にも優れていたといわれています。かつて光秀は織田信長の前ではなく、越前の戦国大名朝倉義景に仕えていました。その時、加賀の一向一揆衆討伐戦に参加し、鉄砲で300人以上の敵を倒したとされています。さらに明智軍記には、朝倉義景の要請で光秀が鉄砲の腕前を披露したエピソードが記されているのです。

これによると、光秀は約45m先にある約30㎝四方の的をめがけて100発の鉄砲を放ちました。その結果、驚くべきことに68発が的の黒い部分に命中し、他の32発も的を外さなかったと伝えられています。この結果からも明智光秀は鉄砲の名手といえるでしょう。

まとめ

ここでは、歴史上もっとも大きな謀反「本能寺の変」を引き起こした明智光秀とその愛刀について解説しました。明智光秀と織田信長との関係や愛刀「明智近景」について一部理解できたことでしょう。明智光秀は依然として多くの謎を秘めた人物ですが、将来的には「本能寺の変」の真実が明らかになる日が訪れることを期待している人も多いでしょう。

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