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公開日:2022/10/01  

有名な戦国武将はどんな刀を持っていた?伊達政宗の愛刀をご紹介!


戦国時代の東北地方を代表する戦国武将といえば、伊達政宗を連想する方は多いのではないでしょうか。政宗は、隻眼というその独特の見た目や、豪快な性格などから、抜群の知名度をもつ戦国武将の一人です。そんな政宗が愛用した有名な刀として、代表的な二本の刀が存在しています。今回は伊達政宗が愛した二本の刀について解説します。

伊達政宗とは

伊達政宗は戦国時代、現在の山形県や宮城県にあたる、出羽国や陸奥国などをおさめた東北地方の有力な戦国武将です。政宗の代表的なエピソードですが、政宗は4歳の頃に天然痘を患って右目を失明し、隻眼となったことで、まわりに引け目を感じることも多く、つらい幼年期を過ごしたといわれています。

しかしながら、年を重ねるにつれて、政宗は自身の境遇に負けず、鍛錬を続けることで立派に成長し、18歳で伊達家の家督を継ぐことになるのです。政宗が家督をついだ頃には、既に豊臣秀吉が天下統一に向けて台頭している時代であり、実力者の政宗をもってしても、自身が天下を取るためには状況的に厳しいものがありました。

しかし政宗は、自身の天下取りの状況は厳しいとわかっていながらも、最後まで諦めようとはせず、秀吉に抗う姿勢をみせるのです。秀吉が天下統一の集大成をかざった小田原征伐の際に、政宗はようやく秀吉の元へ参陣することを決めますが、出発が遅れたこともあり、大遅刻をしてしまいます。天下をあきらめ、秀吉にしたがうことを決心した政宗でしたが、秀吉に思いを伝えようにも、大遅刻をした政宗に激怒した秀吉は、政宗に会おうとしませんでした。

そこで政宗は一世一代の大芝居をうちます。鎧の上に白い陣羽織をはおり、まるで死装束のような装いで秀吉との対面を望んだのです。死装束は、武士が切腹をする際に着る、白の服装を指すことが多かったといわれており、まさに切腹を覚悟しているといった心境を秀吉にアピールするために自身を演出したのです。

政宗の装いやアイデアを面白がった秀吉は、政宗と対面することを決め、政宗の謝罪を受け入れ、政宗を許すことになります。秀吉がこの世を去ったあとは徳川家康につき、時代の勝ち馬に乗り続けた政宗は、江戸時代に入り、仙台藩62万石をおさめた初代領主として、ふるさとである東北の地を整備することに力をいれます。内政面でも優れた能力を発揮し、東北地方を代表する先人として活躍した政宗は、70歳でこの世を去ったのです。

伊達政宗の愛刀

政宗を代表する刀は二本知られています。ともに、豊臣秀吉から贈られた刀であり、まずは燭台切光忠です。燭台切光忠は、政宗が秀吉の御座船を作ったことを労うために、秀吉から贈られた刀です。政宗は燭台切光忠をたいそう気に入り、すぐさま燭台切光忠を腰に差すようになり、翌日にはその出で立ちで秀吉に会っています。

その際に、秀吉は政宗をからかうために、小姓に対して、あの刀は昨日、政宗に盗まれたものだ。取り返してこい。と冗談で命じたところ、冗談ととらえなかった小姓が、刀を返すように政宗を追いかけ回し、詰め寄ったとの記述が伊達家の史料として残っています。

次に、鎺国行という日本刀です。鎺国行は鎌倉時代につくられた日本刀で、この刀のエピソードとして、ある日、政宗が鷹狩を行った際に、政宗の鷹が、赤い目をした珍しい鶴を捕まえました。物珍しいこの話は秀吉に伝わり、政宗自慢の鷹を秀吉がたいそう欲しがったため、政宗は自身の自慢の鷹とともに、赤い目の鶴を添えて秀吉へと献上しました。

喜んだ秀吉は、そのお礼として、鎺国行を政宗に贈ったのです。鎺国行は、刀剣の鑑定士による鑑定によって、金100枚という鑑定書がつけられます。見た目も去ることながら、価値も高い鎺国行を、政宗がとても気に入り、大切に保管をしたといわれています。

伊達政宗の愛刀の現在

政宗の愛刀である燭台切光忠は、江戸時代に入ると水戸徳川家のもとへ献上されることとなりましたが、実際は水戸藩初代藩主の徳川頼房が燭台切光忠を気に入り、伊達家から強引に持ち去ったとされており、政宗としては面白くなかったのではと史料に残されています。その後も、燭台切光忠は、水戸徳川家の宝剣として保管され続けましたが、1923年の関東大震災で、そのほかの刀とともに焼身となってしまいます。

しかし、時は流れて2015年、燭台切光忠は、オンラインゲーム上で突如注目を浴びることとなったのです。オンラインゲームのプレイヤーが、徳川ミュージアムに、燭台切光忠の特徴を伝え、焼身の刀の中に燭台切光忠がないかどうか確認を依頼したところ、特徴が同じものが発見され、燭台切光忠の再現刀を作刀する計画が始まることとなったのです。

こうして、長い時を経て、燭台切光忠は現代に蘇ることとなり、徳川ミュージアムに保管されています。次に、鎺国行は、伊達家によって大切に保管されていましたが、第二次世界大戦中に伊達家から流出し、以降は刀剣研究科の小笠原信夫氏が所有することとなったのです。2小笠原信夫氏の死後、遺族によって、2019年に仙台市博物館へと寄贈されることとなります。伊達家の所有した縁の品は仙台市博物館にも数点は所有されていましたが、伊達政宗の愛刀を所有することは初めてのこととなったのです。

まとめ

あと10年早く生まれていれば、天下は変わっていたかもしれないといわれるほどの逸材であった伊達政宗。政宗が所有した愛刀は、ともに豊臣秀吉から贈られた刀でした。秀吉から刀が贈られたエピソードからも、政宗がいかに秀吉に気に入られていたのかが推察されます。戦国武将のステータスとして用いられることも多かった刀ですが、刀の見た目だけではなく、天下人である秀吉から贈られた品物ということを世に知らせることができるという点も、政宗にとっては好都合だったのかもしれません。

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