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公開日:2020/08/01  

刀の「五箇伝」とそれぞれの特徴とは

五箇伝とは、古刀期の作風を時代や地域を通じて分類したものです。具体的には「山城伝」や「大和伝」、さらには「備前伝」や「相州伝」や「美濃伝」に分類されます。これらの作風と時代を考慮して、刀を鑑定すると、おおよその系統が判別できるといわれています。ここでは、それぞれの特徴について取り上げてみます。

山城伝や大和伝の特徴はどうなっているか

山城伝は、山城国(現在の京都)を中心とする流派のことを指します。山城伝の最盛期は、平安時代から鎌倉時代にかけてとかなり古い時代となります。ただ、鎌倉幕府が成立したことで、武家戦力の中心が京都から鎌倉へ移ったことで衰退の一途をたどります。

時代が流れて室町時代になるとわずかな職人が制作するばかりとなり、本来の山城伝はわずかに伝承されるのみとなってしまいました。そのため、室町時代末期には山城伝といわれる鍛法は衰退してしまったのです。

山城伝の作風というのは、地肌が綺麗で小板目が良く詰んでいて、細かい地沸(じにえ)が良く付いて潤いがあります。地肌というのは、鉄を鍛錬した痕跡のことであり、地沸というのは表面に焼き入れした際にあらわれる鉄の結晶のことです。

山城伝の中でも特に粟田口派の作品は、日本刀の地鉄としては最高峰として讃えられています。また先端は小さく乱れこんでいるのが特徴的であり、上品に浅く返るものが多い傾向です。さらに彫り物の位置は、中央に寄っている傾向が見られます。

大和伝は、大和国(現在の奈良県)を中心とする流派です。大和伝は歴史上最も古い鍛冶集団です。奈良朝時代の701年頃、天国(あまくに)と呼ばれる鍛冶が、大和国宇陀で制作したという記述があります。

ただし、大和伝の作品が確認できるのは鎌倉時代中期からであり、千手院や当麻など5つの流派に分かれて大和伝が完成されました。ちなみに残りの3つの流派は、手掻・尻懸・保昌です。

その後一度は衰退してしまった歴史がありますが、伊達政宗のころの仙台藩が復興させたと伝えられています。作品の特徴を見てみると、地肌は沸が強く柾目(木材の柾目のように見える)を基調としています。板目に鍛えても必ず柾目が混じり、特に当麻や保昌の2つの流は柾鍛えが顕著です。

備前伝や相州伝の特徴はどうなっているか

備前伝というのは、平安時代から室町時代にかけて備前国(現在の岡山県東部)やその近辺を中心とする流派です。この地域は日本刀の一大生産としての地位を維持し続けてきました。備前伝の大きな特徴は、映りをあげることができるという点です。映りというのは、焼入れの際に生じる一種の鉄の変わった部分のことです。

平安時代から鎌倉時代初期にかけては、他国の鍛冶との大きな違いはなかったとされます。武家政権が確立された鎌倉時代中期になると、太刀が武家社会で大きな地位を占めるようになります。それとともに、備前伝の制作技術がピークを迎えました。鎌倉幕府が衰退したころになると、華やかさはなくなり、大きな丁子乱れは影を潜めて、おとなしい姿の出来となりました。

南北朝時代に入ると、戦の形が集団体制の野戦が中心となります。それに伴って形が野戦用にと変化し、長寸で幅が広い形が主流となりました。やがて室町幕府が成立して、南北朝時代の混乱が収まると、鎌倉時代末期の形に戻ってきます。室町時代中期には応仁の乱が勃発し、戦が市街戦主体に変化します。

すると、片手打ちと呼ばれる二尺前後の刀が大量に生産されました。戦国乱世の時代になると、需要増加に伴って、あらかじめ作り置く大量生産が始まりました。そして室町末期の天正年間における吉井川の氾濫によって、備前伝の終止符が打たれました。

相州伝というのは、鎌倉中期以降に相模国(現在の神奈川県)で誕生した流派です。山城国から粟田口国綱が、備前国から国宗や助真たちが鎌倉へ移住し、少し遅れて越中国(現在の富山県)から助則が加わって鎌倉の地で刀を作り始めたことからスタートしました。

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、それぞれの鍛冶が出身国のやり方で作っていました。しかし、南北朝の争乱が激しくなると、十分な強度を有するものが作られるようになったといわれています。これは硬軟の地鉄を組み合わせて制作されたのでした。

美濃伝にはどのような特徴があるのか

美濃伝というのは、山城国(現在の岐阜県)を中心とする流派のことです。鎌倉時代末期から室町時代にかけて、大和鍛冶が美濃国西部に移住した鍛冶と、他国を経由して移住した鍛冶とが加わってできた流派です。

衰退した大和伝にとって代って興された伝法ともいえます。本格的に活動を始めるのは室町時代からであり、五箇伝の中でも比較的新しい流派です。美濃伝の特徴としては大和国の手法を受け継いでいる点が挙げられます。中には大和鍛冶の作品を凌ぐ出来の良いものが多く残されています。

特に刃紋に関しては、初期は沸出来のものが多いですが、中期以降になると匂い出来のものへと変化します。沸出来とは刃境の粒子が荒いもので、匂い出来とは細かなものを指します。

 

時代とともに少しずつ姿や形が変化し、それぞれの時代の歴史人たちを魅了してきた日本刀。そこには数多くの鍛冶たちが、精鍛込めて作った作品が残されています。時代や地域ごとに分類して、五箇伝としてまとめていますが、いずれの流派の作品も素晴らしい出来であることには変わりありません。

五箇伝のそれぞれの特徴を知っておくことは、日本刀を鑑賞したり鑑定したりするうえで基本的なことかもしれません。これをきっかけに五箇伝について理解を深めてみてはいかがでしょうか。

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