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公開日:2022/02/01  

近くに行ったら立ち寄りたい!日本刀を鑑賞できる場所【九州・沖縄地方編】


九州は韓国や中国に近いため、侵略される恐れがありました。そこで、日本は平安時代以降、刀鍛冶集団を招致し、防衛のために刀を作っていたのです。九州で作られた刀は九州物と呼ばれ、多くの名刀があります。また、現在の沖縄県である琉球王国にも伝来してきた宝剣が存在。今回は、九州・沖縄地方で日本刀を鑑賞できる場所を紹介しましょう。

福岡市博物館

福岡県の福岡市博物館は、国宝「太刀 無名一文字(むめいいちもんじ)」を所蔵しています。日光権現に奉納された刀であることと、福岡一文字派が作った刀であることが名前の由来です。

本刀の地鉄は小板目肌で、刀文は華麗な重花丁子に蛙子丁子が交ざった逸品です。この刀は、戦国武将である北条早雲が譲り受け、以降北条家に伝承されてきましたが、1590年に起こった小田原攻めの際に、和睦の仲裁をした黒田官兵衛に譲ったことで、以降黒田家に伝来されてきました。その後、1952年に黒田家14代当主・黒田長禮の没後に、遺志を受け継いだ妻が福岡市に寄贈。福岡市博物館の所蔵となりました。

他にも福岡市博物館には、国宝「へし切長谷部(へしきりはせべ)」や「日本号(にほんごう)」、黒田家伝来の重要文化財などが展示されています。

島田美術館

熊本県の島田美術館は、宮本武蔵にゆかりのある刀や書状が揃う美術館で、「刀 無銘 金重(かねしげ)」を所蔵しています。

宮本武蔵は江戸時代時初期の剣術家で、幼少のころから兵法に心がけ13歳で新当流の有馬喜兵衛と決闘をして勝利、以降60余りの決闘で全て無敗を誇りました。そのなかでも吉岡一門との決闘で使用されたのが、「刀 無銘 金重」です。この刀の地鉄は板目肌流れになっており、刃文は互の目乱れで匂口が明るく鮮明で秀逸な1振りといえます。その後、宮本武蔵は二刀を用いる剣術流派「二天一流」を創始し、57歳のときに肥後熊本藩主の細川忠利に仕え、兵法伝書「五輪書」を執筆しました。

このほかに島田美術館では、巌流島の決闘と呼ばれる佐々木小次郎との決闘で使用された木太刀、細川ガラシャや加藤清正に関する資料も見ることができます。

徴古館

佐賀県の徴古館には、「刀 銘 肥前國住藤原忠廣(ひぜんのくにじゅうふじわらのただひろ) 寛永七年八月吉日」を所蔵しています。「肥前忠広」は、ブラウザゲームの刀剣乱舞でも人気の刀です。

肥前忠広とは、肥前国(現在の佐賀県、長崎県)の刀工「忠広」が作った刀全般のことを指します。忠広とは初代忠吉のことで、九州の豪族である龍造寺隆信の家臣、橋本道弘の子として生まれました。父は、龍造寺家と共に島津氏と戦って討ち死にし、忠吉は刀工に預けられて13年の修行の後に、佐賀城主「鍋島家」に召し抱えられます。その後、1624年に武蔵大掾を受領し忠広と改名することになりました。

また、初代忠吉一門が作った刀は「肥前刀」と呼ばれ繁栄してきました。「刀 銘 肥前國住藤原忠廣 寛永七年八月吉日」は、地鉄は小杢目肌がよく詰み、刃文は広直刃で匂が深いという特徴があります。佐賀藩初代藩主の鍋島勝茂の佩刀と呼ばれ、現在は徴古館が所蔵することになりました。

徴古館は、1927年に鍋島家12代当主の鍋島直映が創設した博物館で、鍋島家が代々継承してきた武具や茶道具、書物などが揃っています。

鹿児島県歴史資料センター黎明館

鹿児島県の鹿児島県歴史資料センター黎明館には、国宝の「太刀 銘 国宗(くにむね)」を所蔵しています。薩摩藩(現在の鹿児島県)の藩主である島津家に受け継がれてきた刀です。島津家といえば武家の名門で、幕末には西郷隆盛や大久保利通など、多くの優れた武士を輩出してきました。

この刀は「備前三郎国宗」が作り、島津家9代当主の島津忠国が室町幕府6代将軍の足利義教から賜ったといわれる由緒正しい太刀です。1927年に島津家30代当主の島津忠重が、島津氏の始祖である島津忠久の700年祭にあたって照國神社に奉納されました。戦後は、アメリカに渡って行方不明でしたが、アメリカ人愛刀家のウォルター・コンプトン氏が手に入れ、1963年に日本に返還しています。その後、現在の鹿児島県歴史資料センター黎明館に保管され、1月と8月の年2回展示されています。

「太刀 銘 国宗」の本刀は品格があり、長寸で豪壮です。地鉄は小板目肌に杢交じり、刃文は丁子乱れがとても華麗な印象です。鹿児島県歴史資料センター黎明館は、1983年に島津氏の居城だった鹿児島城の本丸跡に開館されました。鹿児島の歴史や文化に関する展示や研究が行われていて、ジオラマや映像、クイズなどで楽しく学ぶことができます。

那覇市歴史博物館

沖縄県の那覇歴史博物館には、国宝の「北谷菜切(ちゃたんなきり)」を所蔵しています。この刀は琉球王国の王である尚家に受け継がれてきたもので、妖刀とされているのが特徴です。その昔、北谷(現在の沖縄県中頭郡北谷町)の農婦が赤子を惨殺するという事件が起きました。赤子を殺した罪で捕らえられた農婦に話を聞くと、赤子に向けて包丁を振っただけだそうです。

そこで、試しに役人が山羊に向けて包丁を振ると山羊の首が切れたため、農婦の無罪が証明され釈放されたといういい伝えが残っています。この刀の地鉄は板目肌流れで刃文は細直刃、青貝微塵塗腰刀拵も附属しているため金属とは違った華やかさがあるのが魅力です。

那覇市歴史博物館は、琉球王朝と那覇の歴史を紹介する博物館で、ほかにも国宝の「千代金丸(ちよがねまる)」や「治金丸(じがねまる)」、琉球王国時代の尚家の資料も見ることができます。

 

九州・沖縄地方で日本刀を鑑賞できる場所として、まずは福岡市博物館の国宝「太刀 無名一文字」が挙げられます。次に熊本県の島田美術館の「刀 無銘 金重」。佐賀県の徴古館では、「刀 銘 肥前國住藤原忠廣 寛永七年八月吉日」を見られます。ほかには鹿児島県歴史資料センター黎明館で国宝の「太刀 銘 国宗」を所蔵。沖縄県の那覇市歴史博物館では、国宝の「北谷菜切」を所蔵しています。

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