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公開日:2023/09/01  

もっとも美しいとされる名刀・三日月宗近!その魅力と歴史を解説!

名刀・三日月宗近

刀剣のなかでとても美しい「名物中の名物」と言われるのは、日本刀の「三日月宗近」です。歴史好きな人や刀好きな人におすすめの日本の刀です。江戸時代は「享保名物帳」にのり、昭和時代には国宝にもなりました。現在は東京国立博物館に収められています。三日月宗近を制作した人、来歴、鑑賞の仕方について解説していきます。

三日月宗近とは?名刀に秘められた技と工芸

「三日月宗近」は天下五剣と言われ、刀の歴史の中で一番美しいと評価する人が多い日本刀です。天下五剣とはたくさんあるなかでも、とくに名刀のトップ5の日本刀です。この三日月宗近は、平安の中ごろに作られ、作成したのは京都にいた鍛冶屋の宗近です。

日本刀で一番古く、その鞘に収まる部分は丸みがあり、細い姿は鋒に進むにつれ、さらに細くなるので優美な印象を受けます。名前の由来は、鞘に納める部分が三日月のように、まるい曲線なので名付けられました。

室町のころには、すでに今の名前で呼ばれていたようです。京都府の下の方で作られた刀は、京物と言われ、宗近は京物を作った最初の刀鍛冶です。宗近の経歴は、安土桃山のころの名門鍛冶で家系図では、橘仲遠の次男になっています。当時の技術は素晴らしかったので、刀鍛冶として有名になりました。

歴史の偉人たちが愛した名刀・三日月宗近に関するエピソード

三日月宗近は日本で一番美しいと言われているので、宝刀としてい丁寧に扱われ、大切にされてきましたが、たくさんの持ち主の元で、実際に戦で使われてきました。室町の終わりには「ごあみぎり」と呼ばれ、足利8代将軍の正室の兄が所有していました。

当時の幕府の役人が殺されたことを機に20年以上の戦いになり、正室の兄も亡くなります。その御霊を祀るため、三日月宗近は高野山へ納められています。続いて足利13代将軍もこの刀と、ともに戦に出ていますが、1565年に襲撃されて敗北しています。

三日月宗近は謀反をした一人、三好政康の手に渡り、足利15代将軍の手にも渡って、そして豊臣秀吉の元に来ます。この刀は秀吉の正室が管理していましたが、一時期、正室から部下の山中鹿之介が管理したと言われています。

この刀をとても崇めており、山中自身も身の回りに三日月を付けていたようなので、三日月宗近への熱量が伝わります。しかし再び、正室に戻っています。大きな戦いにより山中家が没落したので、安全な場所に置くために正室に返したと言われます。

そのあとは、1624年に徳川2代将軍のもとに行き、江戸ではずっと徳川家の宝刀になりました。江戸の中ごろには、名刀の記録を付け始め、名刀を調査して格付けしています。刀の完成度や印象的な特徴など、刀を紙などに写して記録し、1719年に享保名物帳が完成しました。

明治では、徳川は公爵として存続していました。1930年頃に刀を研究している本間薫山氏は、徳川家16代当主に観させてもらい、のちにとても素晴らしくて、気品高く古い刀の中で第一等と語っています。

終戦の1945年に、徳川家から現在、スバル自動車の2代目社長の中島喜代一氏に渡ります。かなり刀好きで名刀を多数保管していました。そのため、本間氏と関わりが深かったそうです。勉強が済んだ刀から手放していき、同じ愛刀家で実業家の渡邊三郎氏の手に渡りました。

1951年に法律のため国宝になり、1992年に東京国立博物館に収められています。

三日月宗近の現在と鑑賞する方法

古い刀の中で最も美しい三日月宗近は、素敵な反りと打除けがとくに有名です。鍛造技術は日本独自のもので、日本刀の扱い方など、とても高度な技術なので現在でも再現は難しく、平安の中ごろに作成され、日本刀が出来たころの姿を持っています。

このころの刀を「腰反り高く踏ん張りつき」と言います。また柄を握る手を防護する部分の反りは強く、鋒はほとんどありません。むしろ、刀の背に向かって反りはゆるやかになり、刀のカーブした形はとても際立っています。

この造りは、日本刀の作り方である、刀の表裏に山のような形の鎬がある刀を「鎬造り」と言います。三日月宗近の柄に収まっている部分は作成時のままです、柄に収まっている部分は、鳥ももに似ている形をしています。

波のデザインは名前にもなっている三日月形が印象的です。刀の握る部分に向かって、三日月形のデザインになっています。ほかにも、直線的な刃文をベースに焼き入れで生ずる模様に小乱れなど、光具合や角度、高さで変化を楽しめて、1,000年以上も朽ちずに姿を留めていることが唯一無二の存在価値でしょう。

三日月宗近に値段をつけるとしたら5億円以上の価値!

最も美しい日本刀と評されています。とても美しい曲線と強い反り、そして先端の細さが特徴で、その見た目の美しさだけではなく、実用的な機能性もしっかりしています。

国宝なので値段を正確に出すのは難しいですが、同じく国宝の山鳥毛から予想すると、山鳥毛は、上杉謙信や景勝親子が愛した刀として有名で、国宝になっても個人が管理していました。最高峰の山鳥毛を里帰りさせるプロジェクトのため、2020年には5億円で交渉成立しました。

もし値段がつくとしたら同じ値段か、5億円以上になるでしょう。日本刀は、作成した年代や管理の状態、刀の長さ、作成者などで値段が左右され、名刀ほど歴史的な価値があるので簡単に値段はつけられません。

億単位の価値があるので驚きですが、この刀はあまりにも文化的価値のある名刀です。名刀「三日月宗近」は、次の世代にも受け継ぎたい日本の宝です。

まとめ

本記事では、日本刀について知りたい方や三日月宗近について役立つポイントについて解説しました。歴史ある古い刀ですが、その刀は現在になっても、なお高く評価される、魅力がある刀です。

国宝になり東京国立博物館にありますが、ぜひたくさんの方に知っていただければと思います。三日月宗近を制作した人、来歴、鑑賞の仕方について解説してきました。本記事が三日月宗近をより詳しくなりたい方のお役に立てれば幸いです。

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