1912年7月に即位した大正天皇は、生まれつき病弱で軍務などには不向きな面がありました。けれど和歌や漢詩などに優れた才能を発揮し、中でも刀剣を題材としたものがいくつかあります。今回は日本刀の神秘に魅せられた大正天皇に焦点を当て、刀剣にまつわる逸話などを探っていきましょう。
日本刀を愛してやまなかった大正天皇
皇太子時代からさまざまな名刀と縁があった大正天皇は、父である明治天皇から守り刀を譲り受けています。守り刀というのは、皇太子の証しとなる壺切御剣(つぼきりみつるぎ)という刀です。壺切御剣は護身用として授けられており、元々藤原北家に連なる藤原長良(ふじわらのながの)の所有物であり、壺切という銘があったため壺切御剣と呼ばれるようになりました。
守り刀を授けるというのは鎌倉時代の風習でもあったようです。大正天皇が詠まれた和歌や漢詩の中には守り刀を詠んだものがあり、日本刀を愛してやまなかった大正天皇の心情が伝わってきます。常に自身の守り刀として綺麗に磨きあげた刀剣を詠んだものであり、魔除けのための刀剣であったと解釈されています。
大正天皇の刀剣にまつわる逸話
大正天皇には刀剣にまつわる逸話がいくつかあります。1885年には、元薩摩藩の藩士であった宮内大輔(くないたいふ)の要職にあった吉井友実(よしいともざね)から吉光(鎌倉時代の刀工)の刀剣1振が送られました。
1897年には、英照皇太后(えいしょうこうたいごう)の御遺物である助宗(すけむね)作の短刀を拝受しています。助宗は駿河国で活躍した古刀期の刀工であり、作品は高い評価を得ていました。1896年には、初代内閣総理大臣であった伊藤博文から備前景光作の短刀を献上されています。刀工である景光は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけて活動していた刀工です。
さらに1900年には、久爾宮邦彦王(くにのみやくによしおう)から新藤五国光(しんとうごくにみつ)作の短刀1振を献上されました。新藤五国光は相模国鎌倉で作刀活動を行っていた名工で、鎌倉幕府に重んじられていた刀工であったことが分かっています。
大正天皇が手にした日本刀の魅力
大正天皇にゆかりのある刀剣の中でも、流星刀(りゅうせいとう)と岡田切(おかだぎり)は個性的な特徴を備えたものです。そして大正天皇が自ら作刀させた貴重な2振もあります。
流星刀
流星刀は流星である鉄隕石から作られた日本刀であり、鉄・ニッケル合金からなる隕石であるとし、人類が最初に使用した金属と云われています。この鉄隕石で日本刀が作れないかと考えたのが、明治時代の外交官であり科学者でもあった榎本武揚(えのもとたけあき)です。榎本武揚が作らせた日本刀の1振は、大正天皇の皇太子時代に成年の御祝として献上されました。榎本武揚は旧幕府軍敗北のあと創設された蝦夷共和国の総裁に選ばれましたが、2年半投獄されることとなり、最後は明治政府に使えることになります。
明治政府では駐露特命全権公使としてロシアとの交渉にあたり、サンクトペテルブルグに赴任していました。その赴任先でロシア皇帝の中に鉄隕石から作られた刀剣があることを知った榎本は、いたく感動しいつか自分も鉄隕石で作られた日本刀を手に入れたいと思うようになります。そして巡り合ったのが、白萩隕鉄1号(しらはぎいんてついちごう)でした。
岡田切
岡田切は、鎌倉時代中期に備前国で活躍した福岡一文字派の刀工吉房(よしふさ)によって鍛えられた太刀です。もとは織田信長の愛刀でしたが、息子の織田信雄(おだのぶかつ)が継承し、岡田切は家老であった岡田重孝(おかだしげたか)に由来していると云われています。家臣の名が使われているのは非常に珍しいことだったと記録されています。
このように岡田切は戦国時代に名付けられ、明治時代にのちの大正天皇へ献上されました。献上された経緯ですが、人の手を経た岡田切が実業家の益田孝(ますだたかし)の所持となり、最終的に益田孝から献上されることになりました。現在岡田切は、東京国立博物館の所蔵となり国宝に指定されています。
本太刀「飾太刀銘大正聖帝御即位記念帝室技芸員月山貞一皇命依謹作(花押)」
大正天皇の命を受けた月山貞一(刀工)が、奈良時代から平安時代初期の直刀に似せて作った飾太刀です。即位記念として、大正天皇より旧公家が賜ったとされています。
「太刀銘助久」
鎌倉時代に備前国福岡を本拠地とした福岡一文字派の刀工助久(すけひさ)が作ったとされる太刀です。大正天皇より、第3皇男子の高松宮宜仁親王(たかまつのみやのぶひとしんのう)へ下賜された1振です。現在は京都国立博物館が所蔵しています。
まとめ
日本刀の神秘に魅せられた大正天皇の刀剣にまつわる逸話などをご紹介しましたが、いかがでしたか?明治天皇の影響があったかもしれませんが、大正天皇は日本刀を深く愛していたのでしょう。そして時代ごとに有名な刀工によって作刀されたというのも興味深く、いかに素晴らしいものであったのかが伝わってきます。現代においても太刀は皇室にとって必要不可欠なもので、さまざまな行事の中で飾太刀として使われています。