昔から日本では刀が親しまれてきた歴史がありますが、相撲とも大きな繋がりが存在します。相撲は力士が取り組みをして真剣勝負をしていく国技であり、強い力士は大関や横綱などの地位につくことができますが、日本刀は昔から横綱などの権威を象徴する存在として重要な役割を担っています。
江戸時代の相撲はどんな感じだったのか
相撲と日本刀は江戸時代から存在しますが戦国時代にも両者は存在して、戦闘をするときの体力作りのために相撲が取られていた歴史があります。基本的に相撲は上半身裸などで武器を使用せずに何処でもおこなうことができて、尚且つ勝敗が分かりやすいことから、重宝されていました。
当然ながら取り組みが強い人は、力自慢として尊敬される存在だったので、皆が競うように取り組みをしていた背景があります。勿論実際の戦闘のときには武器を使用しますが、戦国時代に活躍した武士がトレーニングをするときに相撲の取り組みをしていたのが面白いポイントです。
江戸時代の中期になると職業として力士が誕生して、定期的に興行がおこなわれるようになったので、現在でもおこなわれているスタイルに近づいてきます。江戸時代の相撲でも強い力士の取り組みは人気があり、多くの人達が熱中していました。人気が高まるにつれて将軍や大名なども虜になり、強い力士を自分の藩に所属させた歴史があります。
そして藩同士で所属する力士が取り組みをする形になっていき、現代の力士が部屋に所属するような原型が完成されていきました。現代でも部屋に横綱が存在すると名誉がありますが、江戸時代も藩の代表として戦う力士が好成績を残すと名誉を得られた点が、似ているポイントです。また好成績を残した力士には米俵が送られて、帯刀の許可が出たので、ここでも両者に関わり合いが出てきます。
帯刀は強い力士だけに許された特権
江戸時代の力士は藩の代表者として戦った歴史がありますが、横綱もしっかり存在しました。取り組みは各自の身体だけを利用しておこないますから、日頃の鍛錬が成績に影響してきますが、強い力士は横綱として周囲から尊敬される存在でした。
横綱は現代でも存在しますが、江戸時代の横綱の特権が土俵入りをするときの帯刀であり、強さを象徴しています。この大切な土俵入りの儀式は現代の横綱にも引き継がれているので、しっかり歴史を学んだ状態で横綱の土俵入りを見ると、とても面白いです。
戦前は横綱が真剣を土俵入りのときに使用していましたが、戦後に禁止されてしまい、竹を削って作られた物を使用しています。しっかり儀式は昔からのままでおこなわれるので、相撲は歴史をとても大事にしている特徴があります。
横綱の土俵入りは、ボクシングなどであればメインイベントの試合のような物に該当しますから、特別なセレモニーとして現代でも、多くのお客さんが楽しみにしている大切な儀式なので、実際に会場で見ることができれば、とても貴重な経験です。
立行司が帯刀を許される理由とは
大きな体の力士が取り組みをするときには行司が存在しますが、行司はとても重要な存在になります。力士は普通の人間よりも凄まじい力を持っていますから、行司のように取り組みをコントロールする人間が存在しなければ、大怪我をしてしまう人が発生してしまうので、とても危険です。
相撲の取り組みの特徴として土俵から相手を出すか、相手に土をつける必要がありますが、力士が同時に土俵から出てしまったり、土がつくケースがあるので、そのような微妙な判定を下すのが行司の役目になります。
行司にも種類が存在して、大一番の勝負を仕切る人は立行司として、行司の中でもトップに君臨する人が担当するのが伝統的です。通常の行司は帯刀を許されませんが、立行司には許される面白い特徴があります。江戸時代まではすべての行事が短刀を身につけていた歴史がありますが、明治政府の影響により立行司のみが身につけられるようになりました。
なぜ立行司には必要なのかといえば、大一番の取り組みを差し違えすることは、切腹に該当する行為であるからであり、横綱などの真剣勝負を決して汚さないための心意気を表現しています。
横綱の強さの象徴としても日本刀は利用され、立行司が絶対に大切な大一番の取り組みの判定を間違えない真剣さを表現するためにも利用されているので、とても深い繋がりがあります。
日本刀と相撲の間には戦国時代などの古い時代から関わり合いがあり、横綱が土俵入りをするときの儀式にも利用されるスタイルは江戸時代に確立された背景があります。江戸時代まではすべての行事が差し違えをしたときに切腹をするために帯刀を許されていましたが、明治政府の力により、立行司だけに許された流れも面白いポイントです。
現代でも昔からの伝統をしっかり引き継いでいるので、実際に会場で取り組みを見るときには両者の歴史を意識して観戦すると、より力士の真剣勝負を楽しめます。