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公開日:2023/09/15  

有名な戦国武将はどんな刀を持っていた?真田幸村の愛刀をご紹介!

戦国武将

勇敢な戦国武将でもある真田幸村は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。また、真田丸という戦国の荒波に立ち向かう一艘の船を立ち上げたことでも有名です。では、このような武将が愛用していた刀はどんな日本刀だったのでしょうか。真田幸村という武将についても詳しく解説いたします。

真田幸村(真田信繁)とは

安土桃山時代から、江戸時代初期にかけて活躍した武将である真田幸村(真田信繁)は、敵や危難を恐れない勇敢な人物で知られています。また、人目を引く派手な人物でもあったこともあり、のちに英雄として庶民の間でも評価されています。

しかし、真田幸村は、生まれてこの方、順風満帆ではありませんでした。真田幸村の人物像を詳しく知ることで、戦国時代を生き抜いた歴史が、より一層楽しくなります。

真田幸村(真田信繁)は何をしてきたか

真田幸村の父である真田幸昌は、関ヶ原合戦後、長男である真田幸村とともに、九度山に幽閉されてしまいました。真田幸昌は、関ヶ原合戦後、長男の真田信繁とともに、九度山に幽閉され、この地で没しています。真田幸村は、家族たちと地味で質素な生活を送っていました。

一軍人に過ぎなかった真田幸村でしたが、チャンスが訪れたのです。

豊臣家と徳川家の関係が急速に悪化し、極めて緊迫した状況が続きました。そこで、最大の見せ場を作ったのが真田幸村です。豊臣家から誘われた真田信繁は、大阪城へ入ることを決心するのです。大阪城には、さまざまな牢人たちの軍隊があつまり、その数はおおよそ10万人といわれています。

戦国の荒波に立ち向かう一艘の船

真田幸村は、平野口の南に構築した出城・ 曲輪 である外堀にとりでをつくります。これが真田丸です。大坂冬の陣で真田幸村は、より武名を大きくすることに成功するのです。しかし、あともう少しというところで真田軍は 失敗に終わる のでした。

多くの武士たちは、討ち死にし、真田幸村自身も負傷してしまいます。そして真田幸村も力尽きてしまうのです。大阪城も陥落してしまい、100年以上続いた戦国時代は幕を閉じました。

真田幸村の愛刀

真田幸村の愛刀として本武将浮世絵に残されています。真田幸村が徳川家康の首を狙っている場面では、腰に打刀を携え、手には銃を持っています。本武将浮世絵では、ハスの花が咲いている場所。まさしく泥沼状態といってよいでしょう。

徳川家康にとって、真田幸村は、打ち破りにくい相手であったことから、不吉な刀剣と伝えられています。

「村正」(むらまさ)とは

徳川家康にとって不吉な刀剣と伝えられたのが村正(むらまさ)です。村正は、室町時代から江戸時代初期にかけて活躍した刀工の一派です。村正の刀剣とは、現在でいう日本刀のことです。

なぜ、不吉な刀剣といわれたのか、それは、徳川家の死や負傷にかかわった凶器が村正だったからです。また、妖刀村正と多くの人がたたりがあるとささやき、恐れられたのです。しかし、先祖から子孫への一族のつながりをはじめ、いまだにいくつかのミステリアスな定説があるほどの刀工一派です。

真田幸村の愛刀の現在

本武将浮世絵にも残されている真田幸村の愛刀は、今でも不明です。愛刀であった村正は、武器としてだけでなく、美術品としても高い評価のある日本刀です。名将言行録によれば、真田幸村は、徳川家康を滅ぼすことを強く願っており、常に村正を持っていたのです。

ですが、名将言行録は、1854-1869年である江戸時代末期に書かれたものであり、不確かとされています。村正は政宗と並ぶ、優れた刀とたたえられています。

村正の特徴は、太刀や打刀よりも脇差や短刀が多いとされ、「美濃伝」の作風と、隣国の「相州伝」の作風の影響は、室町時代の作風の影響を受けています。また、最も知名度の高い刀工とされ、凄まじい斬れ味とほめたたえられるほどです。

本拠地が伊勢ということもあり、三河武士を中心とし天下人を含めた大名格や上級武士に戦場で愛用された刀です。また、 実戦刀として最も高級と評価されていました。歴史に残る名刀であるため、家宝や神社に奉納されるために作られたものも多いです。

真田幸村が使用した愛刀は不明ですが、村正展などのイベントでお披露目をしています。村正は息をのむほど美しい、また、伝説の妖刀とされているほど。現在でも村正の妖しい魅力を感じずにはいられない方も多いのではないでしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか。有名な戦国武将である真田幸村の愛刀をご紹介いたしました。真田幸村(真田信繁)は、小柄の男性でありながらも、戦国時代を生き抜いた歴史があります。戦国の荒波に立ち向かう一艘の船が真田丸でした。

大阪冬の陣で真田幸村(真田信繁)は、より武名を大きくすることに成功しました。そこで、真田幸村の愛刀とされていたのが村正です。村正は、妖刀村正といわれ、たたりがあるとささやかれ、恐れられました。

真田幸村の愛刀は、不明ですが、村正は武器としてだけでなく、美術品としても高い評価のある日本刀です。伝統的な工芸品である日本刀は継承され続け、蔵から出てきた方もいるかもしれません。もし、そのような場合には、刀剣・日本刀専門の知識がある方にみてもらうのもよいかもしれません。

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