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公開日:2020/11/01  

日本刀の流派の種類


日本刀はさまざまな種類が存在していますが、作られた時代や地域によって特徴が大きく異なることを知っていましたか。中でも歴史上大きな影響を与え、現代でも名が伝えられている流派は5つ存在し、すぐれた作品が残されています。5つの地域の流派を合わせて五箇伝と呼ばれており、それぞれの特徴を理解しておくと、日本刀を見るときに大きく役立つでしょう。

五箇伝のうち大和伝と山城伝の特徴

五箇伝という言葉は、明治以降の人たちによって分類上名付けられた総称であり、大和伝・山城伝・備前伝・相州伝・美濃伝に分けられています。地域ごとに師匠から弟子へ受け継がれてきた作風は、地域ごとの特徴を有しているため、それぞれの特徴を理解しておきましょう。

大和伝は五箇伝中で最も古く誕生したとされ、現在の奈良県である大和国を中心とする流派として昔から知られてきました。奈良に都があった時代、701年ごろに天国(あまくに)と呼ばれる刀工が日本刀を作成したと古文書に記述されています。平安京に遷都された折に一時的に衰退しますが、平安後期に奈良の寺院が僧兵を抱え、武器を作成するために注文を受けるようになりました。

そのため寺社との関わり合いが深く、名称に寺社の名を使っていることが特徴とされ、鎌倉時代中期の物が現存されているもっとも古い物です。大和伝の特徴として、実用本位の造りとなっており、重ねを厚くし、鎬を薄く高く、棟は庵棟で高くなっているところが挙げられます。

また、刃文は柾目を基調とし、板目に鍛えたとしても柾目が必ず入っているところも、特徴の一つとしてあげられるでしょう。山城伝は現在の京都府である山城国を中心としている流派のことで、平安時代から鎌倉時代において隆盛を誇りました。鎌倉時代末期までその存在を確認されていますが、残念なことに室町時代末期に山城伝は完全に衰退してしまっています。

京都の三条に住んでいた宗近と呼ばれる公家を中心に栄え、朝廷に使える貴族や天皇の需要に応じ、優美な作風の太刀を作り上げたといわれています。特徴として、地肌がきれいで小板目がよく詰んで、細かな地沸がよくついていて潤いがある、優美な太刀や小刀ばかりです。とくに山城伝の中でも粟田口派の作品は、日本刀の中でも屈指の美しさを誇る作品ばかりとして現代でも高い評価を受けています。

五箇伝のなかでも備前伝と相州伝の特徴

備前伝と呼ばれるのは、平安時代から室町時代まで現在の岡山県東部である備前国周辺に存在したとされる流派のことです。日本刀の一大生産地として知られ、各時代の政治の中心地から離れたところにあるため、幕府などの影響をまったく受けずに栄え続けました。砂鉄や水、木炭といった日本刀の生産に不可欠な材料が豊富にあること、刀工がほかの地域よりも圧倒的に多いことだけでなく、時代ごとの流行を取り入れ、全国の需要があったといいます。

材料が豊富にあったため、吉井川上流で木炭製造のための森林伐採や下流での砂鉄採集があったとされていますが、その結果、天正年間に大洪水によって壊滅的ダメージを受け衰退しました。作品の特徴としては、よく詰んだ板目肌や地沸(じにえ)が細かくつき、映りがあることや、主に太刀が多いといいます。

刃文は一見すると直刃ですが、華やかな丁子乱れをはじめとした小乱れの作品もあり、時代や刀工によって多少違いがあることも珍しくありません。相州伝は鎌倉期中期以降に相模国(現在の神奈川県)で生まれた流派を指し、日本刀の刀工の中で最も有名な正宗が確立したとされていますが、生没年をはじめ不明な点が多く、逸話や伝説が多くあります。

開祖である鎌倉時代末期の政宗の師匠、新藤五国光が山城伝、備前伝を習得しているため、双方の流れを受け継いだ特徴になっているといいます。相州伝の特徴としては、実用本位の造りとされており、地沸が厚く黒光りする沸(にえ)が線状になって地肌に現れる地景(ちけい)が混じっているところです。強く鍛えた鋼を高温で熱し、急速に冷却するという技術力を必要とする鍛錬であったため、室町時代中期には衰退してしまいました。

五箇伝中もっとも新しい美濃伝の特徴

南北朝時代に生まれたとされる美濃伝は、現在の岐阜県南部である美濃国を中心としている流派のことで、複数の刀工によって誕生したとされています。大和伝の刀工が岐阜県西部に移住し、さらに相州伝の正宗十哲が現在の関市等に移住して相州伝をもたらした結果、新たな作風として誕生しました。

南北朝時代に誕生した美濃伝は戦国時代に美濃国周辺に名だたる戦国武将がいたことや、東北や北陸へのルートがあったことから武器の需要にこたえる形で急速に栄えています。切れ味のよさと堅牢さを追求した実用本位の作風が特徴で、地肌は板目肌、刃文は初期の物は相州伝の影響が顕著で刃境の粒子が荒いですが、次第に細かな物へと変化していきました。また、どこかに必ず尖り刃が混じり、直刃を焼いたとしても必ずどこかに混ざっているため、見分けるときに区別しやすいという意見もあります。

 

日本刀の流派は後世の人たちによって五箇伝と呼ばれるものに分類され、大和伝・山城伝・備前伝・相州伝・美濃伝に分けられています。現代の奈良に当たる大和伝は最も伝統があり、奈良時代に誕生して平安後期に僧兵たちの武器調達のために隆盛を誇りました。

山城伝は平安期に貴族たちのニーズに合わせて誕生した優美さを特徴としており、備前伝は現在の岡山東部を中心として最も多くの刀工がいたことで有名です。相州伝は山城伝、備前伝の影響を受けた作風で、技術力を多く必要としたため急速に衰退し、美濃伝は大和伝、相州伝の影響を受けた最も新しい流派です。

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