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公開日:2022/08/01  

日本人の誇りとして輝いていた軍刀!その種類と歴史


軍刀とは軍隊が使用する刀剣です。日本軍は兵士に軍刀を兵器として支給していましたが、将校クラスの士官は自前で調達していました。日本の軍刀は日本人の誇りとされ、西洋の軍刀とは違った独自の発展を遂げていったのが特徴です。ここではその理由を探り、軍刀の歴史と種類を見ていきましょう。

軍刀はなぜ作られていたか

1875年(明治8年)、日本は富国強兵の時勢にあり、フランスの軍隊を手本として、軍隊を創設しました。その際、日本帝国陸軍はフランスの正式装備であったサーベルを軍刀として採用します。法令でも将校、士官は西洋式のサーベルを佩刀すること、と義務付けられていました。しかし、西洋式のサーベルは日本人に適した刀剣とはいえなかったのです。古来、日本の武人は日本刀による剣法、剣術を旨としており、柄を両手で握り刀身を振るいます。

しかし、サーベルは騎兵が馬上で扱いやすいように、片手で振るえるようにつくられた剣であったため、日本人将校は不具合を訴える人が多かったようです。1877年(明治10年)西郷隆盛を盟主としておきた内乱、西南戦争において、政府の警視隊抜刀隊は旧来の剣術と日本刀で大勝利を収めました。以降、日本刀と剣術の優位性が見直され、サーベルを日本刀化する一種の流行が起きます。外装はサーベル様式で、刀身は日本刀という独自の軍刀が生まれたのです。日本刀は両手持ち以外にも、折れない、曲がらない、斬る攻撃に特化しているなど、日本人にとってサーベルを上回る利点が多くありました。

短期間で一般的となり、昭和期に入ると外装を従来の太刀のように拵えたものが現れます。1876年(明治9年)に出された廃刀令以降、衰退の途を辿っていた日本刀は軍刀として生まれ変わり、日清・日露戦争で需要が拡大したのです。千年以上の歴史を持つ日本刀は武士の魂、戦場における日本人兵士の精神的支柱でした。近代戦にあっては絶対的に不利といわれても、日本人が軍刀を手放すことはなかったようです。第二次世界大戦の終戦後、日本の非武装化を命じるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部=戦後の日本を管理するため設置された機関)によって軍刀は多くが接収されますが、その後は先人の努力により美術工芸品として評価され、今も輝き続けているものがあります。

過去の刀を再利用して作刀することもあった

軍刀は将校クラスの士官になると軍服のような軍装品であり、私物の扱いでした。将校らは自費で軍刀を調達していたので、個人の趣味や嗜好を反映した自由度の高いものが次々に作刀されます。金の留め具や黒漆を使ったものなど、拵に贅を尽くした美しい刀が作られていったのです。戦国時代の武将が刀、鎧、兜に個性を反映させた事情とよく似ています。

なかには明治以前の日本刀を打ち直し、サーベル式の外装を作って利用する場合も多くありました。自宅の蔵に大切に保管されていた伝家の宝刀を打ち直し、近代戦におもむいた士官もいたようです。戦時中、刀の供出が国から命じられ、貴重な古刀が戦場で多く失われる結果となりました。

軍刀の種類

時代の要求や戦争需要によって軍刀は少しずつ変化を遂げた兵器です。戦時にステンレスを使い、大量生産されたものもありますが、古式日本刀の系譜を正しく受け継ぐ刀剣も多くあります。

サーベル型軍刀

外装部分をサーベル風に作り、刀身には日本刀を使った軍刀です。サーベルを元に作られているので、柄の部分に護拳(ごけん)がついています。護拳は日本刀の鍔と同じ役目を持った部品であり、戦闘時に持ち主の手を保護してくれるものです。サーベル型軍刀は正式なサーベルが片手握りで日本人に扱いづらかったために、刀身に日本刀を仕込んで両手握りに改良しました。軍隊では両手握りの軍刀が主流でしたが、片手に手綱を握って馬を操る騎兵隊は西洋式のサーベルを佩刀していたようです。

九四式軍刀

1934年(昭和9年)に導入された軍刀です。当時使われていた年号、皇紀2594年から九四式と呼ばれています。護拳をなくし、古来より伝わる太刀拵の軍刀です。刀身には日本刀が仕込まれていました。鞘は個人の趣味を活かして朱色・萌黄色など光沢のある塗装がされています。腰に吊るための環が2個あり、桜花や桜葉などのデザインが施されました。

九八式軍刀

九四式軍刀を一部改良した軍刀です。九八式の名称は俗称であり、正しくは昭和13年式軍刀といい、外装の環は九四式の2個から1個に改められています。導入当初は鞘に美麗な装飾を施したものが多くありましたが、太平洋戦争開戦後、物資不足が深刻になったため、外装は極力省略され、塗装色は国防色(帯青茶褐色)が多くなっています。

太刀型軍刀

主に海軍で使用されていた軍刀を指します。海軍は陸戦を主戦に想定していないので、軍刀は儀礼用の正装に利用されていました。従って外装は美しく装飾されたものが多く、あまり実戦向きではなかったようです。太平洋戦争末期には物資不足のため、装飾は簡略化されました。

まとめ

軍刀は大きくわけて将校が私物として所有したものと、兵士が兵器として支給されたものが存在します。将校が所有した軍刀は、個人の趣味嗜好が反映され、美術工芸品としても価値の高いものでした。いつの時代も日本の軍刀は兵士らの心の拠り所として、精神的支柱であり続けたのです。

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