日本刀ブームが広がるに伴って、日本刀に魅了される人が増えています。日本刀を楽しむには、その価値を正しく知ることが大切です。ここでは刀の鑑定の歴史を取り上げてみます。さらに、江戸時代に広まった刀鑑定書である刀鑑定書についても解説します。
室町時代までにおける刀鑑定の歴史
刀の鑑定がいつごろ始まったのかは定かにされていません。鑑定の初期においては、刀本来の目的、すなわち刀が切れるか否かによって、その価値が定められていたようです。つまり、実用的な判断によって、良し悪しを判定したことが起源なのです。
南北朝時代の歴史物語である「増鏡」によると、後鳥羽上皇の項目で刀の鑑定に近いことがおこなわれていたことが記述されています。刀鑑定や目利きを生業とする存在がはっきり分かるのが、室町時代の足利将軍家に仕えた本阿弥家が最初であると伝えられています。本阿弥家は刀剣研磨や目利きを本業として、足利将軍家の刀剣管理を担っていた家柄でした。
また本阿弥家とは別に、美濃国(現在の岐阜県)の宇都宮三河入道と呼ばれる人物が、3代将軍足利義満の命令で「可然物(しかるべきもの)」と呼ばれる書物を書いてから刀の鑑定が本格化されました。これを宇都宮流鑑定といいますが、その鑑定技術は尾張(現在の愛知県西半部)に伝わり、やがて竹屋流目利きとなって江戸時代に花を咲かせることになります。
江戸時代から出回った鑑定書の折紙とは
刀の価値を知ることができる鑑定書。鑑定書が初めて世に出たのが、本阿弥家の九代目である光徳が慶長年間(1596年~1615年)に「折紙」を初めて発行したことだと伝えられています。ただ、実際に現存する最古の折紙は、十代目の光室のものからです。何故、折紙と呼ばれるようになったかといえば、奉書紙を二つ折りで用いたことから付いたといわれています。
現在は物事を保証するときに「折り紙付き」と使われるようになっていますが、その由来はこの刀の鑑定書から来ているのです。江戸時代、本阿弥家は12の支流に分かれ、それぞれが大名の手厚い保護を受けていました。それによって権威を維持し、毎月三日に一族が宗家に集まって、お互いが相談し合って宗家の名義として折紙を発行していました。すなわち、鑑定の権威が時の政治権力によって左右されなかったことにもつながります。
ただし、時間が経つにつれて、順位付けの低い刀鍛冶の刀の銘を削り取って、位の高い刀鍛冶の作品として折紙を発行するなどの所業がおこなわれていたようです。本阿弥家は刀鑑定の権威として室町時代からその名を轟かせていました。
しかし江戸時代になると、それとは別に武家目利きとして細川幽斎や長谷川忠右衛門らが、鑑定家としてその名を残しています。江戸時代中期には、江戸にいた神田白竜子と呼ばれる人物が「新刀銘尽」を書いて存在感をあらわしました。
やがて江戸時代末期になると、武家目利きがその実力を発揮して、数多くの刀剣書を残しています。このように、江戸時代の刀鑑定から折紙が出回るようになりましたが、それとともに数多くの鑑定家がその名を残しているのです。
現在における刀の鑑定書について
刀につけられた鑑定書は、本来それが付けられた物の価値を証明するものであります。江戸時代においてはそれを「折紙」と呼んでいて、価値を金銭に換えて証明していました。時代が経過し現在の鑑定書というのは、刀のランク付けを兼ねた性格を有していて、鑑定書が付属するか否かで刀の販売価格が大きく変わってきてしまいます。
ちなみに鑑定書というのは、現在刀剣界で最も権威があると信じられている書類です。これは日本刀関係で唯一の公益法人が発行しているものであり、刀剣商がこの鑑定書をつけることを盛んにおこなっています。
第二次世界大戦後に刀の所持が解禁され、刀剣ブームの到来とともに鑑定書の発行が始まりました。最盛期には数十種類の鑑定書が発行されていましたが、時代を経て中止されたものもあります。
世の中には刀コレクターと呼ばれる人が多くいます。これらの人は一般の人よりも刀に関する知識はありますが、それでも買い求めようとする刀の客観的価値観の判断はとても難しいです。やはり必然的に権威がある団体が保証した鑑定書が付属していれば、安心して購入することが可能になります。
また、刀を買い取る側の立場からみると、鑑定書の付属の有無は査定に大きな影響を与えるでしょう。ただし、鑑定書そのものを改ざんして利益を得る不心得者がいる可能性があるのも事実です。そのため、刀を見るときは鑑定書だけに頼らず、自分の目を養い信頼できる人の意見を聞いてから、購入するなどの対応を取ることが肝心です。
刀鑑定の始まりは定かではありませんが、後鳥羽上皇の時代からそれに近いことがおこなわれていたようで、長い歴史があることが分かりました。そして江戸時代になると、鑑定書である折紙が広く出回りました。
その折紙は意味が転じて「折り紙付き」という言葉で、現在でも使われています。それだけ、ものの価値を証明するための大事な書類であったことが分かります。現在は鑑定書という書類によって、刀の価値を証明していますが、それだけに頼らず刀そのものを見る目を養う必要があります。