日本では、独特の鍛冶製法で作られた日本刀が古くから重宝されていました。その日本刀の中で天下の作品として知られるのが、天下三作と呼ばれる吉光、正宗、義弘です。おそらく、天下三作に連ねる名のうち、ひとつくらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?この記事では、天下三作と呼ばれる名工の3人について紹介します。
天下三作とは?
天下三作とは、江戸時代の享保名物帳内で、別格扱いされていた3人の刀を作る職人(刀工)と作った刀(作刀)を指しています。
ちなみに3人の刀工とは、栗田口吉光、五郎入道正宗、郷(江)義弘の3人で、いずれも鎌倉時代に生まれました。3人の作刀は名物と呼ばれており、この名称は享保名物帳内に収載されている名刀を意味します。また、享保名物帳は現代の図鑑に当たるものです。図鑑内には第八代将軍の徳川吉宗が命を下し、鑑定から選定、編集などを行った250振が紹介されています。この編集などに携わったのが、刀剣鑑定家の本阿弥光忠とその一族です。
この享保名物帳には、吉光は34振、正宗は59振、義弘は22振が収録されていますが、その中で健全な作例として、吉光の刀が16振、正宗の刀が41振、そして義弘の刀が11振取り上げられています。享保名物帳は江戸時代のものですが、吉光、正宗、義弘の作刀は安土桃山時代にも珍重されており、豊臣秀吉などはその収集家として有名です。
短刀の名手「栗田口吉光」
栗田口吉光(あわたぐちよしみつ)は、通称「藤四郎」と呼ばれていた鎌倉時代中期の刀工です。刀を作っていた場所は山城国の粟田口、現在の京都府に当たります。もともとは鎌倉時代初期に国家という人が始めました。
その刀工の刀派名が栗田口派になります。粟田口派は、後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めていたといわれており、粟田口吉光はこの時代に多くの刀を作りました。吉光の作る刀は格調高く優美、小板目肌の地鉄と直刃庁の刃文、日本刀の特徴をしっかり出す熱処理後にできる沸出来(にえでき)は互の目(ぐのめ)を連ねています。
こういった刀を作る粟田口吉光は、短刀作りの名手と呼ばれており、武家への贈答品として人気があったようです。現在残っている吉光の刀は、ほとんどが藤四郎の名が付いた短刀で、秋田藤四郎、包丁藤四郎、前田藤四郎、薬研藤四郎などが有名です。太刀については豊臣秀吉が持っていたといわれている1振(一期一振)のみが現存しています。
相模国で活躍した名工「五郎入道正宗」
正宗という名前は、日本刀の中で最も有名といってもよいでしょう。正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍していた刀工で、主に3つの呼び方があります。相州正宗、岡崎正宗、そして五郎入道正宗です。相州というのは相模国のことであり、現在の神奈川県鎌倉市に当たります。
五郎入道正宗は、折れず曲がらずによく斬れると有名な相州伝を完成させた人物として知られています。五郎入道正宗の作る刀は、主に地鉄の美しさが見どころで、互の目乱れ、馬の歯乱(うまのはみだれ)、大乱(おおみだれ)、湾乱(とうらん)、直刃丁字乱(すぐはちょうじみだれ)などさまざまな刃文も特徴的です。また、身は薄く軽量にも関わらず幅は広いので、大きく豪壮に感じます。ただし残念なことに、銘を切った刀は、太刀だとひとつもなく、短刀に4振見られるだけです。
ちなみにこの4振とは、不動正宗、京極正宗、大黒正宗、本庄正宗の4振になります。五郎入道正宗には、次に紹介する義弘や、貞宗、長谷部国重などの優秀な弟子が10名ほどいました。その中でも長谷部国重は、織田信長の愛刀として有名な国宝「へし切長谷部」の作者です。また、10名いた弟子を正宗十哲といいます。
正宗十哲の一人「郷義弘」
義弘とは、鎌倉時代末期に相州伝を習得した正宗十哲のひとり、郷義弘(ごうよしひろ)のことです。作刀していたのは、現在の富山県魚津市で、当時は越中国松倉郷と呼ばれていたことから、郷と名が付いたといわれています。また、郷ではなく江義弘と呼ばれていたなど、諸説ある人物です。義弘の作刀は少なく、偽物が多く出回ったといわれています。その理由は若くして亡くなってしまったからです。
義弘は27歳で死去したといわれており、そのため、多くの刀を残すことができませんでした。そんな義弘の作る刀は、明るく冴えた出来栄えが特徴。刀文は湾乱、地鉄は板目肌です。作刀が少ないというだけでも貴重な刀ですが、銘が切られている刀はまったくありません。すべて無銘の謎多き刀としても知られています。
このことから、世間では「郷(江)と化け物は見たことがない」といった言葉が生まれたほどです。有名な名物としては稲葉江で、戦国武将のひとりである稲葉重通が持っていたことで名付けられました。
吉光、正宗、義弘は、日本刀を語る上で重要な人物です。その名は、戦国時代はもちろんのこと、江戸時代から現在にいたるまで忘れ去られることなく、伝えられてきました。日本刀は、見ているだけでも強さや優雅さを感じますが、誰が作り、どんな歴史を持っているのかを知ると、日本刀の価値が改めて分かるかもしれませんね。