刀工は自分が打った刀に銘を切ります。日本刀に刻まれた銘を見ると「藤原」の苗字が多いことに気付くでしょう。刀工の苗字にはなぜ「藤原」が多いのでしょうか?それを知るには、千年以上におよぶ、日本刀の長い歴史を掘り起こさなければなりません。ここでは、銘に刻まれた刀工たちの謎に迫ります。
刀工たちの名前は似ている!?
歴史上、名刀工たちの名前はよく似ています。銘とは器物に刻まれた文字であり、日本刀においては製作者や出身地、役職など、製作者に関する情報を茎(なかご)、刀の柄の部分に刻字します。銘文を刻むことを刀剣の世界では「銘を切る」と表現しています。銘はサインとして刀工の手で切るもので、文の入れ方に決まりはありません。刀工自身の判断によるものなので、全く銘を入れない場合も多くあるようです。
簡単に刀工名だけのもの、刀工の名と苗字を両方切ったものなどがあります。作刀した年月日や刀の所有者の氏名を切ったもの、家紋や花押を切ったものなど、さまざまです。一般的によく知られている日本刀の銘は、新撰組土方歳三の愛刀「和泉守兼定」のように、和泉守という受領名の下に兼定という刀工名が切られています。初代和泉守兼定の技術を継承した弟子たちは、二代目兼定、三代目兼定を名乗りました。刀工は傑出した名工の下に弟子が集まり、流派が形成されて技術を継承します。
同じ流派の刀工は、師匠と同じ名前や師匠の一字をとった名を名乗ったので、優れた作刀集団であるほど、よく似た名が増えていったのでしょう。実子相続で親の名を襲名した例も多くあります。日本刀の銘には、苗字が切られているものもありました。当時は士農工商の世であり、武士以外は苗字を持つことを許されていませんでしたが、高い技術を持った刀工には、苗字の名乗りが許可されたようです。
刀工の苗字にはなぜ藤原が多いのか
江戸期の刀工には「藤原」姓が圧倒的に多いといわれています。その理由は2つ考えられます。
1つは「藤原」は江戸期、全国的に多く使用された姓であること。2つ目は「藤原」姓が高い権威と結びついたもの、誉高い姓であったからでしょう。
藤原家は古代日本の時代から天皇家に最も近い家柄でした。常に権力の中枢にあり、天皇を補佐する役目を担っています。大化の改新で活躍した藤原鎌足に始まり、平安時代の藤原道長の時代に最も隆盛を極めたようです。「藤原」の威光は武士の世が訪れても、色褪せることはなく、特権階級から一般庶民に至るまで、名誉ある家名として浸透していました。自然に藤原氏と血縁関係にない人までが名誉を得た、あるいは名誉を得たいがために「藤原」を名乗ります。本名は別にあるのに、刀の銘に「藤原」姓を切る現象が多く見られました。「藤原」を名乗るに価する卓越した技術を持っている、といった刀工らのアピールかもしれません。
また「藤原」姓は、中央から各地方へ移動した人々が、血縁の有無にかかわらず名乗りを上げていました。「藤原」は日本全土に広がりを見せます。伊藤、佐藤、近藤など藤の字を冠する姓は藤原氏から派生した一族ともいわれます。その数の多さから刀工らにとって「藤原」は源平藤橘(源氏、平氏、藤原氏、橘氏の四姓)のなかでも名乗りやすい、名乗りたい苗字だったのでしょう。
受領銘と苗字の関係
日本刀の銘を見ると受領銘「○○守」といった役職名が名の前につくものが多くあります。「津田越前守助広」「和泉守藤原金道」「伊賀守金道」「丹波守吉道」「越中守正敏」など、受領名の入った銘は桃山時代の終わり、江戸時代初期から始まり、明治期に廃止されました。受領(ずりょう)とは奈良、平安時代の律令制度において、地方行政官を意味する官職です。長官職である「守」(かみ)の他「介」(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の役職がありました。
受領は天皇が任命する役職でしたが、武士の世になると形骸化し、いわゆる名前だけの名誉職となります。権力者に目をかけられた名刀工が褒賞として、受領職を拝命するようになりますが、現地に赴任し、地方官として働く必要はありませんでした。以降、受領銘は名刀工集団のブランド名のような扱いで、日本刀に刻字されます。刀工は本来苗字を持たない階級ですが、名人として受領を拝領するにあたり、名誉ある姓「藤原」を同時に賜姓されたようです。江戸時代の名工、伊賀守金道は徳川家康の取次により朝廷から伊賀守を受領し「日本鍛冶宗匠」の称号を受けました。
その後、伊賀守金道は朝廷とほかの刀工の間を仲介する役目を担います。名刀を欲する朝廷と受領名を欲する刀工をマッチングさせていました。刀工が名誉職を得るには名誉ある姓が必要です。実際に受領と同時に「藤原」姓を賜ったという記録があるようです。こうした経緯で受領銘と源平藤橘の姓、なかでも「藤原」の苗字を切った刀が世に多く現れました
刀工が刀に刻む銘は刀工名、出身地、作刀年月日、所有者など様々な文字が切られました。銘文に決まりはなく、名刀工の打った刀であっても、無銘のものも存在します。受領名+藤原+刀工名を切った刀が多い傾向にあります。刀工は受領職と共に名誉ある姓「藤原」を同時に拝領していたようです。